大場香取神社。春日部市大場の神社

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大場香取神社。春日部市大場の神社

大場香取神社の概要

大場香取神社は、春日部市大場にある神社です。大場香取神社の創建年代等は不詳ながら、大畑・中野とも大場より分村しており、近辺では古くより開発が進み、文安3年(1446)の勧請と伝えられます。江戸期には大場村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際しては明治6年村社に列格、明治43年に字前野の無格社稲荷社、字中谷の無格社雷電社を合祀しています。

大場香取神社
大場香取神社の概要
社号 香取神社
祭神 経津主命
相殿 -
境内社 三社様(稲荷・八幡・天神)
祭日 例祭4月3日
住所 春日部市大場799
備考 -



大場香取神社の由緒

大場香取神社の創建年代等は不詳ながら、大畑・中野とも大場より分村しており、近辺では古くより開発が進み、文安3年(1446)の勧請と伝えられます。江戸期には大場村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際しては明治6年村社に列格、明治43年に字前野の無格社稲荷社、字中谷の無格社雷電社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による大場香取神社の由緒

(埼玉郡大場村)
香取社
村の鎮守なり、文安三年の勸請とのみ傳ふ、村民の持、
末社。八幡、稲荷、疱瘡神
觀音堂。本地佛十一面觀音を安ず、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による大場香取神社の由緒

香取神社<春日部市大場七九九(大場字前)>
大場は、元荒川と大落古利根川の間の沖積地に位置する農業地域でこの付近の村々の中でも比較的早く開発されたといわれ、隣接する大畑と中野の二か村は当地から分村した村である。当社は、その鎮守として祀られてきた神社で、『風土記稿』大場村の項に「香取社 村の鎮守なり、文安三年(一四四六)の勧請とのみ伝ふ、村民の持、末社 八幡 稲荷疱瘡神 観音堂 本地仏十一面観音像を安ず」とある。しかし、この記事に載る「文安三年勧請」の件については、現在では記録・伝説共に伝わらず、詳しい事情はわからない。
当社に残っている最も古い記録は、天明八年(一七八八)十一月に社殿を再建した時の棟札である。この表面には「奉新造立正一位香取大明神社殿一宇助成氏子如意満足攸」とあり、当時極位に叙されていたことがわかる。一方、裏面には、「遷宮導師稲林山光明寺住法印天梁 禰宜古暮七良左右門」とあり、当社の約五〇〇メートル東にある真言宗の寺院で同寺が当社の祭祀に関与していたことがうかがわれる。なお「古暮七良左右門」は、当社の隣に住んでいた神職である。
明治六年に村社となり、同四十三年三月二十五日に字前野から無格社稲荷社、字中谷から無格社雷電社を合祀した。大正十二年九月一日の関東大震災では本殿・拝殿共に倒壊する大被害があったが、氏子一同の努力により、同十四年六月に再建が果たされた。(「埼玉の神社」より)


大場香取神社の周辺図