大場下稲荷神社。春日部市大場の神社
大場下稲荷神社の概要
大場下稲荷神社は、春日部市大場にある神社です。大場下稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には大場村の下組で祀っていた社で、明治維新後も八軒で祀ってきたといいます。本殿に安置されている稲荷神像は高村光雲の彫刻で、総代を勤めていた清水廣衛門が日光旅行に際して高村光雲と同宿だったことから制作を依頼したものだといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 宇迦之御魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 初午祭3月初午日 |
住所 | 春日部市大場1251 |
備考 | - |
大場下稲荷神社の由緒
大場下稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には大場村の下組で祀っていた社で、明治維新後も八軒で祀ってきたといいます。本殿に安置されている稲荷神像は高村光雲の彫刻で、総代を勤めていた清水廣衛門が日光旅行に際して高村光雲と同宿だったことから制作を依頼したものだといいます。
新編武蔵風土記稿による大場下稲荷神社の由緒
(埼玉郡大場村)
稲荷社二宇
雷電社二宇
四社共に光明寺の持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による大場下稲荷神社の由緒
稲荷神社<春日部市大場四五五(大場字裏)>
「下の稲荷様」の通称で親しまれているように、当社は大場のうちの下組で祀っている神社である。境内は、東武伊勢崎線武里駅の近くにあり、社殿を守るかのように銀杏や椎の大木が幾本も茂っている。これは、住民が「御神木は神様の住む所」という意識を持って樹木を大切にしてきたことの表れで、「お狐様の住む所がなくなるといけないから」といい、古くから境内の立木には枝下ろし程度しかしてこなかったという。
本殿には、像高一三・七センチメートル、幅七・八センチメートルの柘植一刀彫りの稲荷神像が安置されている。小ぶりながら品の良さが感じられるこの像は、現在総代を務める清水市郎の祖父廣衛門が氏子数人と日光に行った際、同じ宿に高村光雲が泊まっていたのを知り、神像の彫刻を依頼してみたところ、快く無償で彫ってくれたものであるという。なお、清水廣衛門は大正の末期に没しているため、この日光旅行は明治の末期から大正の初期ごろのことと推測されるが、定かな記録はない。
一方、『風土記稿』大場村の項を見ると、村の鎮守である香取社に続いて「○稲荷社二宇 ○雷電社二宇 四社共に光明寺の持」の記述がある。ここに見える「稲荷社二宇」のうちの一社が当社である。明治期には八戸で祀る無格社で、規模もさして大きくはないが、信仰が厚かったため合祀の対象となることもなく、祭祀が続けられている。(「埼玉の神社」より)
大場下稲荷神社の周辺図