薄谷香取神社。春日部市薄谷の神社
薄谷香取神社の概要
薄谷香取神社は、春日部市薄谷にある神社です。薄谷香取神社の創建年代等は不詳ながら、慶安年間(1648-1652)の『田園簿』に薄谷新田と記載されていることから、江戸時代初期の開発過程で村の鎮守として祀られたものと思われます。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、明治45年に字久仏の無格社雷電社を合祀しています。
社号 | 香取神社 |
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祭神 | 経津主命 |
相殿 | 別雷命 |
境内社 | 大黒天、天神4、稲荷、雷電 |
祭日 | おびしゃ1月10日 |
住所 | 春日部市薄谷140 |
備考 | - |
薄谷香取神社の由緒
薄谷香取神社の創建年代等は不詳ながら、慶安年間(1648-1652)の『田園簿』に薄谷新田と記載されていることから、江戸時代初期の開発過程で村の鎮守として祀られたものと思われます。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、明治45年に字久仏の無格社雷電社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による薄谷香取神社の由緒
(埼玉郡薄谷村)
香取社
村の鎮守にて、眞福寺の持なり、
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雷電社
村持
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眞福寺
新義眞言宗、粕壁宿最勝院門徒、黒谷山と號す、本尊不動、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による薄谷香取神社の由緒
香取神社<春日部市薄谷一四〇(薄谷字中道)>
薄谷は、大落古利根川と元荒川の間の沖積地に位置する農業地域である。地名の由来は、村の中央に大川があり、そこの薄が繁茂していた地域を開発したことによるという。村の開発の年代は明らかでないが、慶安二-三年(一六四九-五〇)の『田園簿』には薄谷新田と見える。
当社は薄谷の鎮守をして祀られている。創建の年代については明らかでないが、『風土記稿』薄谷村の項には「香取社 村の鎮守にて、真福寺の持なり」と記されており、当社の西隣にあった真福寺が別当として社務を司っていたことがわかる。同寺は粕壁宿最勝院門徒の真言宗の寺院で、黒谷山と号し、不動を本尊としていた。その開基については詳らかでないが、延享元年(一七四四)の「権大僧都法印後央不生位」、寛政十二年(一八〇〇)の「権大僧都法印秀栄不生位」とそれぞれを刻んだ二基の墓石が残る。
明治初年の神仏分離により別当真福寺と分離した当社は、明治六年に村社となり、同四十五年には字久仏の無格社雷電社を合祀した。この雷電社の元地は現在の武里中学校校庭の一角となっている。なお、真福寺は明治七年に廃寺となり、その跡地の共有墓地の一角には、現在薄谷会館が建てられており、祭りの際には直会の会場として利用されている。(「埼玉の神社」より)
薄谷香取神社の周辺図