梅田神明社。春日部市梅田本町の神社
梅田神明社の概要
梅田神明社は、春日部市梅田本町にある神社です。梅田神明社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代初期に梅田村の北部に位置する当地周辺の開拓が進み、元和4年(1618)に創建した梅田寺とともに祀られたのではないかと推測され、梅田新田地区の鎮守として祀られてきました。
社号 | 神明社 |
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祭神 | 大日孁貴命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 春日部市梅田本町2-31-6 |
備考 | - |
梅田神明社の由緒
梅田神明社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代初期に梅田村の北部に位置する当地周辺の開拓が進み、元和4年(1618)に創建した梅田寺とともに祀られたのではないかと推測され、梅田新田地区の鎮守として祀られてきました。
新編武蔵風土記稿による梅田神明社の由緒
(埼玉郡梅田村)
太神宮
梅田寺持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による梅田神明社の由緒
神明社<春日部市梅田本町二-三一-六(梅田字西)>
梅田は日光街道粕壁宿の北に開発された村で、古隅田川や古利根川に囲まれた低湿地を埋め立てて田を作った所であったため、「梅田」の地名は「埋め田」を意味するのではないかとの説もある。当社は、この梅田の村の北部の梅田新田に鎮座する。今では、古くから続く家は一五戸に減っているが、開発当初は一八戸がこの地に居を構えたと伝えられ、その中でも、元禄以前から続き「政右衛門様」と呼ばれる島田きく江家(島田姓の本家)と宝暦年間から続き「六兵衛様」と呼ばれる須田貞雄家(須田姓の本家)が古い家であるという。
『風土記稿』梅田村の項にも「太神宮 梅田寺持」と載るように、当社は、神仏分離までは隣接する梅田寺が管理する社であった。梅田寺は、寺伝によれば元和四年(一六一八)の創立であることから、当社の創建も恐らくこれと相前後するものと思われる。また、当社に文化九年(一八一二)に「当村繁栄無病無災如意吉祥」を願って「太神宮御宮」を再興した旨を記したものと、享保三年(一七一八)に「請願成就如意満足」を願って宮殿を奉納した旨を記したものの二枚の棟札があり、これらの年に社殿の再建があったことがわかる。
神仏分離後の当社は、地元の梅田新田の住民によって祭祀が続けられ、社格は無格社であったが、大切に祀られてきた。また、近年では昭和五十三年に草葺きから銅板葺きへと屋根の改修が行われた。(「埼玉の神社」より)
梅田神明社の周辺図