大河山圓福寺。春日部市有形文化財の仏像
圓福寺の概要
浄土宗寺院の圓福寺は、大河山華蔵院と号します。圓福寺の創建年代等は不詳ながら、正応年間(1288-1293)以前に開創、元弘3年(1333)銘の板碑が残されているといいます。その後、当地出身の呑龍上人より嗣法を受けた僧祖笈(承応元年1652年寂)が開山、第9世光世尊應大和尚が彫刻した諸尊は春日部市有形文化財に指定されています。
山号 | 大河山 |
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院号 | 華蔵院 |
寺号 | 圓福寺 |
住所 | 春日部市一ノ割1-30-17 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
圓福寺の縁起
圓福寺の創建年代等は不詳ながら、正応年間(1288-1293)以前に開創、元弘3年(1333)銘の板碑が残されているといいます。その後、当地出身の呑龍上人より嗣法を受けた僧祖笈(承応元年1652年寂)が開山、第9世光世尊應大和尚が彫刻した諸尊は春日部市有形文化財に指定されています。
境内石碑による圓福寺の縁起
本堂庫裡落慶記念碑
抑、当寺は正應年間以前の創立であり、その後元弘三年明記の板碑の発掘によりその年代が立証されている。
旧本堂、庫裡は元禄時代の建造物で三百有余年を経過しており木造総茅葺(本堂八十一坪、庫裡百坪余)の由緒ある伽藍であり庫裡は昭和三十八年、本堂は同五十四年にその歴史上の価値から保存が望まれたが、老朽化甚だしく止むなくとりこわされた。(境内石碑より抜粋)
新編武蔵風土記稿による圓福寺の縁起
(埼玉郡市野割村)
圓福寺
浄土宗、平方村林西寺末、本尊阿彌陀、開山祖笈は當郡の人にて、瀧山大善寺第三世呑龍に嗣法し、承應元年示寂せし由、浄土傳燈總系譜にみえたり(新編武蔵風土記稿より)
圓福寺所蔵の文化財
- 厨子入木彫当麻曼荼羅図
- 厨子入木彫釈迦涅槃図
- 木彫閻魔王宮並びに八大地獄図
- 木彫厨子入阿弥陀三尊来迎仏
厨子入木彫当麻曼荼羅図は奈良県の當麻寺所蔵の當麻曼荼羅を立体的に模したもので、西方極楽浄土の様子を現わしています。釈迦の入滅の様子を現した厨子入木彫釈迦涅槃図とともに、元禄十一年(一六九八)に完成しました。また、地獄の様子を現した木彫閻魔王宮並びに八大地獄図は、元禄十五年(一七〇二)に完成しました。いずれも、圓福寺第九世中興光世上人が木彫りで制作したもので、その経緯が十二枚の版木に記されています。
木造阿弥陀如来立像及び両脇侍像は、明和八年(一七七一)の『寺宝開帳目録』に記された「三尊来迎仏」に該当し、西方極楽浄土からの来迎を現しています。中尊の阿弥陀像は恵心僧都の作と伝えられ、一部は後世に補修されています。両脇の観音菩薩像、勢至菩薩像は光世上人の作で、技術の高さがうかがえます。(春日部市教育委員会掲示より)
圓福寺の周辺図