成就院。春日部市粕壁にある真言宗智山派寺院
成就院の概要
真言宗智山派寺院の成就院は、愛宕山大日寺と号します。成就院の創建年代等は不詳ながら、慶長年間(1596-1615)の僧順清が中興開山、元禄8年(1695)当地へ移転したといいます。
山号 | 愛宕山 |
---|---|
院号 | 成就院 |
寺号 | 大日寺 |
住所 | 春日部市粕壁3-9-28 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
成就院の縁起
成就院の創建年代等は不詳ながら、慶長年間(1596-1615)の僧順清が中興開山、元禄8年(1695)当地へ移転したといいます。
「春日部市史」による成就院の縁起
慶長十二年に順清が中興開山、古くは浜川戸耕地にあり阿弥陀寺と称す、元禄八年に最勝院境内地に移転、享保二年法流相続(「春日部市史」より)
新編武蔵風土記稿による成就院の縁起
(埼玉郡粕壁宿)
成就院
最勝院門徒、愛宕山阿彌陀寺と稱す、慶長年中の僧順清といへるもの、功あるにより、是を中興開山と稱せり、
阿彌陀堂
太子堂(新編武蔵風土記稿より)
成就院所蔵の文化財
- 見川喜蔵墓及び見川家五輪塔
見川喜蔵墓及び見川家五輪塔
成就院は、真言宗智山派の寺院で、愛宕山成就院大日寺といいます。江戸時代から粕壁宿内の多くの檀家を抱えた寺院の一つです。
見川喜蔵(一七三九~一八〇五)は、粕壁宿の問屋・差配役を勤めた人物で、水害や飢饉により窮地に陥った宿場や農村の救恤・復興に尽力したことで知られています。
境内の墓地に所在する見川喜蔵墓は、喜蔵を顕彰するために、文化六年(一八〇九)三月に建てられました。墓の両側面・背面には、喜蔵の事績を称える墓誌が刻まれています。墓誌を作文したのは江戸の漢詩人館柳湾、書体は将棋の駒の文字でもお馴染みの書家巻菱湖によるものです。傍らには、宿の開発に携わった土豪・見川家代々の墓(五輪塔)があります。これら二基の墓は、宿場町の成り立ちや、江戸時代後期の市域及び県東部地域の歴史のみならず幕政史をひもとくうえで、重要な資料です。(春日部市教育委員会掲示より)
成就院の周辺図