藤間諏訪神社。慶長17年に創建、藤間大明神
藤間諏訪神社の概要
藤間諏訪神社は、川越市藤間にある諏訪神社です。藤間諏訪神社は、慶長17年(1612)に創建したと伝えられ、藤間大明神と称していたといいます。江戸期には藤間の鎮守として祀られ、明治維新後には、神明社・熊野社・天神社・稲荷社・八坂神社を明治40年に合祀しています。
社号 | 諏訪神社 |
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祭神 | 建御名方命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例祭8月27日、2月初午日、天王様7月23日、三社祭10月15日 |
住所 | 川越市藤間346-1 |
備考 | - |
藤間諏訪神社の由緒
藤間諏訪神社は、慶長17年(1612)に創建したと伝えられ、藤間大明神と称していたといいます。江戸期には藤間の鎮守として祀られ、明治維新後には、神明社・熊野社・天神社・稲荷社・八坂神社を明治40年に合祀しています。
新編武蔵風土記稿による藤間諏訪神社の由緒
(藤馬村)
諏訪社
東光寺の持、下同じ
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稲荷社
天神社
熊野社(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による藤間諏訪神社の由緒
諏訪神社<川越市藤間三四六‐一(藤間字開発)>
当社は川越市の南部に位置する藤間の鎮守であり、建御名方命を祀る。藤間はかつて藤馬とも書かれ、集落は現在地よりも東方にあったが、川越街道が開通したことにより、城主の命令を受け、寛永六年に現在地に移住したという。
『明細帳』には「里老ノ口碑ニ伝フルハ慶長十七年ノ創立ナリト云フ或ハ然ラン」とある。また、社殿内より大正一五年に発見された文書は、天保一二年に神祇伯家から当村産子中に宛てられた書簡で、「今般依懇願武州入間郡藤間村鎮守江奉勧遷 藤間大明神之神璽奉遷」とあるところから、当社はかつて藤間大明神と呼ばれていたことが知られる。
内陣には金幣が安置され、幣芯には明和元年七月の年紀がある。このほかにも、厨子に入った諏訪大明神像があるが、年紀は入っていない。本殿は一間社流造りであり、建築年代は不明である。
明治初年までは、曹洞宗医王山東光寺が別当であった。かつて藤間には西光寺と東光寺の二寺があり、当初東光寺は当社と境内を同じくしていたが、いつのころか西光寺が廃寺となったため、東光寺を西光寺跡に移転したという。(「埼玉の神社」より)
境内掲示による藤間諏訪神社の由緒
当社の創建は詳ではないが、神社誌によれば慶長十七年と伝えられているが、当社はそれ以前から祀られていたようで当時村人からは藤間大明神と崇められていたと古文書に記されている。
又現存する奉納額にも其の證が、残されている。
寛永六年に現在の川越街道ができて神社周辺の村落の人々は其の道筋に移り住みましたが、
当社は現在地に鎮座されたまま、相変わらず藤間の村人達の氏神様として大勢の人々の崇敬を集めています。
今回摂末社造営のための記念事業として当社の拝殿並に奥殿の改修工事を實施至し計書事業はすべて完了しました。
依って摂末社五社の造営を記念し当社御由緒書を建て奉納する。(境内掲示より)
藤間諏訪神社の周辺図