石田本郷稲荷神社。一度は合祀されたものの復祀した社
石田本郷稲荷神社の概要
石田本郷稲荷神社は、川越市石田本郷にある稲荷神社です。石田本郷稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、石田本郷は、谷中・菅間と共に石田から分村、その時期は不詳ながら谷中石田の文字が永禄年間(1558-1570)の北條役帳に載っていることから戦国時代に分村したものと推定され、その頃には祀られていたのではないかと思われます。明治41年藤宮神社に合祀され、觀行院に遥拝所が置かれていましたが、昭和27年に復祀、昭和50年に認可を得て一社として独立しています。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | 天神社、若宮八幡社、芳野神社 |
祭日 | - |
住所 | 川越市石田本郷697-1 |
備考 | - |
石田本郷稲荷神社の由緒
石田本郷稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、石田本郷は、谷中・菅間と共に石田から分村、その時期は不詳ながら谷中石田の文字が永禄年間(1558-1570)の北條役帳に載っていることから戦国時代に分村したものと推定され、その頃には祀られていたのではないかと思われます。明治41年藤宮神社に合祀され、觀行院に遥拝所が置かれていましたが、昭和27年に復祀、昭和50年に認可を得て一社として独立しています。
新編武蔵風土記稿による石田本郷稲荷神社の由緒
(石田本郷)
稲荷社
村内觀行院の持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による石田本郷稲荷神社の由緒
稲荷神社<川越市石田本郷六九七-一(石田本郷字川端町)>
石田本郷は、市の東南部に位置し、新堀(旧入間川)に沿った低地である。昭和三〇年までは鴨田・伊佐沼・寺井・北田島・谷中・菅間などと共に芳野村と称していた。
当社は明治四一年四月石田の藤宮神社に合祀されることになり、金幣と賽銭箱・狛犬が藤宮神社へ移され、同時に境内地は藤宮の土地になったため、当社石宮は旧別当である勧行院の前に移され遙拝所となった。また、境内社であった天神社は石木家宅地、次いで新堀の堤防上を転々とした後、堤防の決壊時に築堤の妨げになるとの理由から、当社と同じく観行院前に移された。
以来旧氏子は藤宮神社の氏子として信仰を続けていたが、当地から離れていることから人々の足が遠のき、これに反比例するように当社復活の気持ちが募ってきた。そのような折、昭和二六年藤宮神社を大修理する際、金を出すのもいいが、遥拝するだけの社より村の社が欲しいとの声が挙がり、協議の結果昭和二七年に旧来の社地へ戻ることになった。この時、藤宮神社の役員により幣束と狛犬を神社まで送ってもらい、賽銭箱は形見にと同社に残し、代わりに同社境内地の杉の木を一本もらって社殿を建築した。以来藤宮神社とのつながりも切れ、昭和五二年、正式に認可がおり再び一社として独立した。(「埼玉の神社」より)
石田本郷稲荷神社の周辺図