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石田本郷天神社。川越市石田本郷の神社

石田本郷天神社の概要

石田本郷天神社は、川越市石田本郷にある天神社です。石田本郷天神社は、北條氏が滅亡した天正18年(1590)に当地に土着して開拓した長沢信正(長沢信濃守信熙の次男)が当社を創建したといいます。長沢信正の父信濃守信熙は北條氏・甲州武田家に仕え、飯能市吾野に住んでいたとされ、その子信清・信正・信久は小田原北條の役に際して松山城に拠って戦ったものの敗れ、長沢信正は当地に土着、当地石田本郷新田のみならず、鴨田も開拓したといいます。

石田本郷天神社
石田本郷天神社の概要
社号 天神社
祭神 菅原道真公
相殿 -
境内社 稲荷社
祭日 春祭り3月25日、秋祭り10月14・15日
住所 川越市石田本郷1242
備考 -



石田本郷天神社の由緒

石田本郷天神社は、北條氏が滅亡した天正18年(1590)に当地に土着して開拓した長沢信正(長沢信濃守信熙の次男)が当社を創建したといいます。長沢信正の父信濃守信熙は北條氏・甲州武田家に仕え、飯能市吾野に住んでいたとされ、その子信清・信正・信久は小田原北條の役に際して松山城に拠って戦ったものの敗れ、長沢信正は当地に土着、当地石田本郷新田のみならず、鴨田も開拓したといいます。

新編武蔵風土記稿による石田本郷天神社の由緒

(石田本郷)
天神社
寳蔵寺の持
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寳蔵寺
天台宗、仙波中院門徒、本尊大日を安ぜり、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による石田本郷天神社の由緒

天神社<川越市石田本郷一二四二(石田本郷字柳原町・鴨田字天神町)
当地は入間川南岸の低地に位置する。ここは開拓される前、毎年入間川が氾濫する所で荒れるにまかせた葦原であった。これを開いたのは天正一八年で、氏子長沢本家の先祖と伝えている。長沢家の祖は信濃守信熙で、北条氏幕下にあったが、故あって甲州武田家にも仕えた。また、信熙は若くして吾野に住み、長沢(現飯能市)という地名はこれにちなんで付けられたもので、鎮守を諏訪神社としている。信熙には、信清・信正・信久の三人の息子がおり、これらは、豊臣秀吉が北条征伐の折、北条方の松山城に属して戦ったが敗れた。このうち当地に逃れて荒地を開いたのが、長沢本家先祖となる次男信正である。
当社は、信正が祀ったもので荒地の中に杉の大木が二本生えているのを見つけると、そこに社を建て自らも社地東脇に屋敷を構えたという。
祭神は菅原道真公で、内陣には天神座像を安置している。
別当は『風土記稿』によると、天台宗宝蔵寺であったが、神仏分離の際、廃された。このため現在、寺の跡地を確認することはできない。また、神像は、神仏分離後、近くの一乗院善光寺に預けられたが、戦後、当社に戻された。神像が戻された理由は、敗戦のため芳野小学校校庭にあった奉安殿が当社社殿として移されたことから、立派な社殿が出来たので御神体を納めようということになったためである。(「埼玉の神社」より)


石田本郷天神社の周辺図