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笠幡白鬚神社。川越市笠幡の神社

笠幡白鬚神社の概要

笠幡白鬚神社は、川越市笠幡にある白鬚神社です。笠幡白鬚神社は、霊亀年間(715-717)に高麗一族が武蔵野に居を構えた折、一部の民が笠幡の地に居住し本朝の例に倣って白髭神社を祀ったと伝えられます。万治2年(1659)の秋には御神体が盗難に遭ってしまい、社殿の向きが悪いために起こったことであるといわれ、南向きであった社殿を東南向き(盗難にかける)に変更したといいます。笠幡白鬚神社

笠幡白鬚神社の概要
社号 白鬚神社
祭神 猿田彦大神
相殿 -
境内社 八坂神社、子宝大明神
祭日 -
住所 川越市笠幡3686
備考 -



笠幡白鬚神社の由緒

笠幡白鬚神社は、霊亀年間(715-717)に高麗一族が武蔵野に居を構えた折、一部の民が笠幡の地に居住し本朝の例に倣って白髭神社を祀ったと伝えられます。万治2年(1659)の秋には御神体が盗難に遭ってしまい、社殿の向きが悪いために起こったことであるといわれ、南向きであった社殿を東南向き(盗難にかける)に変更したといいます。

新編武蔵風土記稿による笠幡白鬚神社の由緒

(笠幡村)
白髭社
延命寺持、例祭九月廿九日、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による笠幡白鬚神社の由緒

白鬚神社<川越市笠幡三六八六(笠幡字上野前)>
当地は小畦川流域の低地から台地にあり、鎮座地上野は台地部にある。北に高く南に低く川に接する地形は、当地開拓の古さを物語っているようである。
社記によると当社の創立は、霊亀年間に高麗一族武蔵野に居を構えた折、一部の民が笠幡の地に居住し本朝の例に倣って明神を祀る。これが当社であり、永享年中に社殿を再営するとある。
棟札写しに「萬治二年再建造営・別当延命寺豪海」とあり、『風土記稿』に「白髭社 延命寺持、例祭九月二十九日」とある。別当延命寺は、幡霊山と号して天台宗の寺である。
口碑に「万治二年の秋に神体として祀ってあった白鬚大神の尊像が盗難に遭ってしまった。これは社殿の向きが悪いために起こったことであるといわれ、真南向きであった社殿を東南向き(盗難にかける)に変更した」という。
当社は神仏習合時代延命寺所有地にあり、明治六年に社地として届け出たものの延命寺の土地と認定された。しかしこれ以後も当社の周囲一町六段歩を神社使用地として管理してきた。この間、折にふれて境内地は問題となっていたが、昭和五一年正式な裁判により神社境内地は社殿周囲一段歩と決定した。この結果、参道の一部・鳥居・社号標・幟立てが寺の所有地にあることになった。(「埼玉の神社」より)


笠幡白鬚神社所蔵の文化財

  • 笠幡白髭神社本殿一棟(川越市指定有形文化財)

笠幡白髭神社本殿一棟

この地はかつて高麗郡に属し、当社は高麗一族が奉斎したのが始まりといいます。江戸期は天台宗延命寺が別当として管理にあたっていました。
本殿は小型の一間社流造で、覆屋の板床上に据えられています。板葺の屋根に千鳥破風、軒唐破風を付けますが、当初より覆屋内にあったと思われ、屋根は雨を受けることを考えていません。江戸彫を多用した工芸的な色彩の強い建築です。
身舎は台輪上に尾垂木付の三手先を組んで、妻の大虹梁を大きく持ち出し、斗栱間には竜や花鳥の彫物をはめこんでいます。大虹梁の絵様は通常の陰刻ではなく、渦と波頭を浮彫りし、大虹梁と二重虹梁の上には竜と花鳥の彫物を飾り、壁面・斗栱間。妻面を彫物で埋め尽くして迫力ある側面を作り出しています。
背面板壁は唐獅子と牡丹、左側面は巨霊人に虎、右側壁は玉扈弾琴に竜であり、正面の扉と左右の脇面にもおおぶりの花木の彫物を飾ります。また、左脇障子は亀に乗る黄安仙人、右脇障子には鯉に乗る琴高仙人です。
庇は地紋彫を施した角柱に虹梁型頭貫をかけて、三斗枠肘木を組み、身舎とは海老虹梁でつないで、手挟をそえます。柱には昇竜、降竜がからみ、中備にも眼光するどい大きな竜がにらみをきかせています。造営年代については、明治十八年(一八八五)に祠掌伊藤保によって書かれた記録があります。それによれば、安政二年(一八五五)正月十五日に氏子の原田弁作によって、本社と覆いを造営し、棟札は紛失したといいます。造営年代を知る一次史料とは言いがたいのですが、江戸彫の本殿が流行する時期として妥当で、記録作成も三十年後のことであるから、信をおいてよいと思われます。
大工名・彫物師名などが明らかでないことは惜しまれますが、建築・彫刻の質は高く、とりわけ彫刻の密度はすこぶる高く、江戸彫を多用した本殿の事例として貴重な遺構です。(川越市教育委員会掲示より)

笠幡白鬚神社の周辺図