岸町熊野神社。川越市岸町の神社

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岸町熊野神社。稲荷社の鎮座していた当地へ熊野社が遷座

岸町熊野神社の概要

岸町熊野神社は、川越市岸町にある熊野神社です。岸町熊野神社の創建年代等は不詳ながら、岸村(宇戸沢村)が開拓された江戸時代初期には奉斎されていたのではないかといいます。江戸期を通して村の鎮守として祀られ、明治19年に無格社稲荷神社を合祀、稲荷神社の鎮座していた当地へ遷座、明治40年に無格社神明神社及び諏訪神社の二社を合祀、昭和35年には氏子区域内に散在する小祠を合祀しています。

岸町熊野神社
岸町熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 伊弉諾尊、速玉男命・事解男命
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 川越市岸町2-21-7
備考 旧村社



岸町熊野神社の由緒

岸町熊野神社の創建年代等は不詳ながら、岸村(宇戸沢村)が開拓された江戸時代初期には奉斎されていたのではないかといいます。江戸期を通して村の鎮守として祀られ、明治19年に無格社稲荷神社を合祀、c荷神社の鎮座していた当地へ遷座、明治40年に無格社神明神社及び諏訪神社の二社を合祀、昭和35年には氏子区域内に散在する小祠を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による岸町熊野神社の由緒

(岸村)
熊野社
村の鎮守なり、長田寺の持、下も同じ
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稲荷社
神明社
諏訪社
稲荷社
疱瘡神社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による岸町熊野神社の由緒

熊野神社<川越市岸町二-三五一(岸字山下)>
岸町は新河岸川と不老川に挟まれた三日月形の集落であり、好字をあてて喜志町とも書く。『風土記稿』によれば、当地は宇戸沢村と称していたが、いつのころからか岸村と呼ぶようになったという。
当社の創建は、岸村の開村のころと伝えられ、元禄六年の『御検地御図帳』には「当社地の義任先規に除地せらる」と記載されているところから、江戸時代の初期には既に奉斎されていたものと考えられる。
かつて当社は、字南谷にあったが、明治一九年一二月一一日、無格社稲荷神社を合祀の上、同社の境内であった現在地に移転した。この稲荷神社は、三日月形をしている岸村全体を見下ろす高台に位置するところから、古くより月見稲荷(あるいは月村稲荷、三日月稲荷)と呼ばれており、現在も当社の境内社として祀られている。
その後、明治四〇年五月に字押切に鎮座する無格社神明神社及び諏訪神社の二社を合祀し、昭和三五年には氏子区域内に散在する小祠を合祀し、現在に至っている。
主祭神は伊弉諾尊、速玉男命・事解男命の三柱で、内陣には「本地熊野大権現」と彫られた黒塗りの厨子に入った像が安置されている。本殿は一間社流造りで、拝殿とともに明治一九年に造営されたものであり、これを納める覆屋は、蔵造りの街川越にふさわしく土蔵造りとなっている。(「埼玉の神社」より)


岸町熊野神社の周辺図