杉森稲荷神社。松平伊豆守信綱の川越城改築に際し遷座
杉森稲荷神社の概要
杉森稲荷神社は、川越市松郷にある稲荷神社です。杉森稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、往古初雁中学校地付近に鎮座、太田道灌の川越城縄張り、松平伊豆守信綱の川越城改築に際して当地へ遷座したといいます。
社号 | 杉森稲荷神社 |
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祭神 | 宇迦之御魂大神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 川越市松郷783 |
備考 | - |
杉森稲荷神社の由緒
杉森稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、往古初雁中学校地付近に鎮座、太田道灌の川越城縄張り、松平伊豆守信綱の川越城改築に際して当地へ遷座したといいます。
「埼玉の神社」による杉森稲荷神社の由緒
杉森稲荷神社<川越市松郷七八三(松郷字杉下町)>
社記に「当社は往古三芳野神社の社木初雁の杉の傍にあり。長禄元年太田道灌築城の折、城の東に遷し、下って慶安元年松平信綱城を増築の折現在地に再び遷される。社と共に移った村も当初の村名杉下を今に用いる」とある。初雁の杉とは、『三芳野天神縁起』に「初雁三声老杉の上を鳴いて北より南へ渡る」とある杉をいう。
古老は「古くは筋野一族の氏神として、現在の初雁中学のある辺りに祀られていた。この所は御樹木と呼ぶ杉の林であり、このため杉森稲荷神社と呼ぶようになった。その後、太田道灌が城を築く時に、現郭町二丁目の市営プール北側に移り、さらに城主伊豆守信綱の時に現在地に移転し、神社の移転と共に住民も移住した」と言う。
筋野家は、氏子区域に四〇戸ほどあり、元は黒田姓である。本家は代々勘三郎を襲名し、現在二〇代目であるという。また御樹木については、『三芳野名勝図会』に「御樹木屋敷、数株之果樹を補置せらるる所也」とある。
本殿は一間社流造りであり、内陣に「正一位稲荷大明神 本宮祠官鳥居南和泉守」と墨書のある木牌を安置する。
初午祭に授与する神札用の版木が残されていて、表に「正一位稲荷大明神尊像」と記し狐に乗る稲荷神像を刻み、裏面に不動明王像があり、下部に「天寿院」と刻んでいる。別当寺を表すものと思われる。(「埼玉の神社」より)
杉森稲荷神社の周辺図