中福稲荷神社。川越市中福の神社

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中福稲荷神社。三芳野稲荷社と号して創建、中福の神楽

中福稲荷神社の概要

中福稲荷神社は、川越市中福にある稲荷神社です。中福稲荷神社は、当地開拓を命ぜられた新田奉行中沢弥兵衛が、三芳野天神社の境内社三芳野稲荷を、寛永9年(1632)名主尾崎六右衛門邸内に遷宮して三芳野稲荷社と号して創建したといいます。明暦元年(1655)には今福の中央にあたる赤峰山の地に遷座、当地が今福の続き地にあたることと、奉行中沢に因み万治3年(1660)中福村と命名されたそうです。春祈祷では「相模流」の「中福の神楽」が奉納されます。

中福稲荷神社
中福稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 倉稲魂命
相殿 -
境内社 金刀比羅宮、八坂神社
祭日 春祈祷4月19日、夏祭り7月15日、秋祭り10月15日
住所 川越市中福2
備考 -



中福稲荷神社の由緒

中福稲荷神社は、当地開拓を命ぜられた新田奉行中沢弥兵衛が、三芳野天神社の境内社三芳野稲荷を、寛永9年(1632)名主尾崎六右衛門邸内に遷宮して三芳野稲荷社と号して創建したといいます。明暦元年(1655)には今福の中央にあたる赤峰山の地に遷座、当地が今福の続き地にあたることと、奉行中沢に因み万治3年(1660)中福村と命名されたそうです。明治維新後の社格制定に際して明治5年村社に列格、明治40年上松原の稲荷社、及びその境内社金毘羅社・八坂社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による中福稲荷神社の由緒

(中福村)
稲荷社
村民の持、
(上松原村)
稲荷社
村民の持、 (新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による中福稲荷神社の由緒

稲荷神社<川越市中福二(中福字赤峰)>
当地は不老川の右岸台地上にある。当社の創始は社記によると、松平伊豆守信網が川越城主となり、新田奉行中沢弥兵衛に命じて当地の開発に当たらせ、開拓安全を祈請して城内三芳野天神社境内社三芳野稲荷を当地(当時砂久保村)名主尾崎六右衛門邸内に移す。この時寛永九年一〇月一九日、遷宮奉仕は城番家老水谷伊勢守であり、この時の草分けは尾崎・落合・松崎家など数軒であったという。
次いで承応三年三月一八日、村の中央赤峰山の地を按じて社地と定めて工を起こし、翌明暦元年三月一九日遷座して村の鎮守と仰ぎ三芳野稲荷社と号する。また、城内の松飾りを境内で焼き天下泰平を祈ることがこの時に始まり”どんど稲荷” とも呼ばれる。
万治三年、奉行中沢某、開発の成就に当たり、今福続きと某が名にちなんで中福村と名付ける。この時村内二五軒と伝わり、今も二十五軒屋敷の名が残っている。
寛文四年、松平甲斐守輝綱が代官加藤又右衛門に命じて社地八反歩を除地する。
安永三年、正一位の宗源宗旨を受ける。
明治五年には村社となる。(「埼玉の神社」より)


中福稲荷神社所蔵の文化財

  • 中福の神楽(川越市指定無形民俗文化財)

中福の神楽

入間・北足立・多摩地方には「相模流」と称する里神楽が分布しています。中福の神楽もその一つで、代々根岸家が元締となり、多くの人々の協力を得て一座を組み、伝承されてきました。演目は古事記や日本書紀などに基づく「神代もの」が中心で、「八俣大蛇退治」や「墨江三柱大神」などがあります。4月19日の中福稲荷神社の春祈祷の他、増形・藤間などの例祭に招かれることもあります。10月の川越氷川祭にも参加するなど広く活動しています。(川越市教育委員会掲示より)

中福稲荷神社の周辺図