時の鐘薬師神社。川越市幸町の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

時の鐘薬師神社。元町の市場に祀られていた薬師堂

時の鐘薬師神社の概要

時の鐘薬師神社は、川越市幸町にある薬師神社です。時の鐘薬師神社は、元町の市場に祀られていた薬師堂を元和9年(1623)当地へ移転、観音坊という僧が開山となり瑞光山醫王院常蓮寺と号していたといいます。明治維新により常蓮寺は廃寺となり、薬師神社と改めたといいます。

時の鐘薬師神社
時の鐘薬師神社の概要
社号 薬師神社
祭神 大己貴命・少彦名命
相殿 -
境内社 稲荷神社
祭日 -
住所 川越市幸町15-8
備考 -



時の鐘薬師神社の由緒

時の鐘薬師神社は、元町の市場に祀られていた薬師堂を元和9年(1623)当地へ移転、観音坊という僧が開山となり瑞光山醫王院常蓮寺と号していたといいます。明治維新により常蓮寺は廃寺となり、薬師神社と改めたといいます。

境内掲示による時の鐘薬師神社の由緒

薬師神社の由来について
当神社は以前瑞光山醫王院常蓮寺という寺であったが明治維新の折薬師神社となった。明治二十六年川越大火により時の鐘と共に焼失翌年再建された。御本尊は薬師如来の立像で高さ六十糎行基菩薩の作という。五穀豊穣・家運隆昌・特に病気平癒の御利益があり眼病には著しい効果がある。尚、向かって右奥の稲荷社は出世開運合格に著しいご利益がある。(境内掲示より)

新編武蔵風土記稿による時の鐘薬師神社の由緒

(多賀町)常蓮寺
天台宗、仙波中院の門徒なり、瑞光山醫王院と號す、開山を観音坊と云、年代詳ならず、昔は本町にありしが、元和年中此地に移れり、本尊薬師の立像長二尺、行基菩薩の作なり。
稲荷社。金毘羅社。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による時の鐘薬師神社の由緒

薬師神社<川越市幸町一五-八(川越字多賀町)>
川越市の象徴ともいえる「時の鐘」の鐘楼をくぐり抜けた奥に当社は鎮座している。鎮座地である幸町は町名地番整理以前、多賀町と称していた。これは、江戸時代桶屋が多く住む職人町であったことにより、箍町と呼ばれ、後に多賀町と改められたものである。
当社は元は薬師堂であり、元町(現元町)市場の市神として常陸国から元和年間に勧請された。その後、市場内が手狭となったために同九年城主酒井備後守が薬師堂を現在地へ遷座し、瑞光山医王院常蓮寺と称する天台宗の寺になった。また『明細帳』には「万治年中川越旧城主松平伊豆守家人長谷川源右衛門ノ下知ニ拠り多賀町ニ遷座ス以降同町小鎮守トシテ崇敬ス」とある。
神仏分離により常蓮寺は廃寺となり、薬師堂は薬師神社と改称し無格社となった。
祭神は大己貴命・少彦名命である。内陣には往時の本地仏として薬師如来像、脇士として日光菩薩像・月光菩薩像を安置している。この像は『風土記稿』に「長二尺、行基菩薩の作なり」と載せる。ほかに十二神将像・聖徳太子像・青面金剛像があったが、明治二六年の川越大火の折、薬師像のみかろうじて運び出され、他は一切焼失したという。現社殿はその翌年に時の鐘と共に再建されたものである。(「埼玉の神社」より)


時の鐘薬師神社の周辺図