砂氷川神社。大洪水による災害後に創建
砂氷川神社の概要
砂氷川神社は、川越市砂にある氷川神社です。砂氷川神社は、寛保2年(1742)に大洪水による災害後の延享元年(1744)に創建したと伝えられます。明治維新後に天王社(八坂神社)・砂厳島神社・砂第六天社を合祀したものの、砂厳島神社・砂第六天社は戦後復祀しています。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素佐之男命 |
相殿 | 稲田姫命、大己貴命 |
境内社 | 八坂神社、仙元神社 |
祭日 | 天王さま7月14日 |
住所 | 川越市砂640 |
備考 | - |
砂氷川神社の由緒
砂氷川神社は、寛保2年(1742)に大洪水による災害後の延享元年(1744)に創建したと伝えられます。明治維新後に天王社(八坂神社)・砂厳島神社・砂第六天社を合祀したものの、砂厳島神社・砂第六天社は、戦後復祀しています。
新編武蔵風土記稿による砂氷川神社の由緒
(砂村)
氷川社
此邊の鎮守、勝光寺の持なり、下二社同じ、
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辨天社
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牛頭天王社
神體は松平伊豆守が家人、松田權太夫が造れる所なる由なり、 (新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による砂氷川神社の由緒
氷川神社<川越市砂四六〇(砂字宮下)>
須佐之男命を祭神とする当社は、大字砂の鎮守であり、口碑によれば延享元年の創建と伝えられる。延享元年は、未曾有といわれる寛保二年の大洪水の二年後に当たるところから、水害に困弊した人々が川を鎮めるために川の神である氷川神社を、村内で最も高い丘陵上に奉斎したのが当社の始まりと思われる。
創建当時の御霊代は、金幣であったが、明治の初めに盗難に遭ったため、以後は銅の幣束を奉斎している。このほかにも内陣には、鏡一面と嘉永二年に上新河岸の住民によって奉納された石一個が納められている。現在の本殿は、大正四年に造られたもので、一間社流造りである。
また、当社は五枚の棟札を有しており、最古のものは「氷川大明神拝殿成就」とある延享元年五月のものである。これらの棟札には、別当として勝光寺の名が記されている。勝光寺は寂光山平等院と号する天台宗の寺院で、昔からの砂の住民は皆この寺の檀家である。
かつて、当社の境内には、樹齢二、三〇〇年の杉の大木が林を成していたが、戦後、水位の低下による枯死が進み、倒れる危険も出てきたので、昭和四〇年ごろ、これを伐採し、その跡にベンチや遊戯具などを設けた。なお、今日においても境内には檜の大木が数本あり、その木陰は老若を問わず氏子の憩いの場となっている。(「埼玉の神社」より)
砂氷川神社の周辺図