南大塚菅原神社。南北朝時代の創建
南大塚菅原神社の概要
南大塚菅原神社は、川越市南大塚にある菅原神社です。南大塚菅原神社の創建年代等は不詳ながら南北朝時代の創建と伝えられ、慶長11年(1606)に当地を開発した藤倉大膳も信仰したといいます。
社号 | 菅原神社 |
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祭神 | 菅原道真公 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社、牛頭天王社、御嶽社 |
祭日 | - |
住所 | 川越市南大塚2-4-7 |
備考 | - |
南大塚菅原神社の由緒
南大塚菅原神社の創建年代等は不詳ながら南北朝時代の創建と伝えられ、慶長11年(1606)に当地を開発した藤倉大膳も信仰したといいます。
新編武蔵風土記稿による南大塚菅原神社の由緒
(大塚村)天神社
社前に梅樹數十株あり、村内西福寺の持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による南大塚菅原神社の由緒
菅原神社<川越市南大塚一九(南大塚字冨土見野)>
当地は新河岸川右岸の台地に位置し、地内には、古墳後期の南大塚古墳群があり、当社はこのうちの一つに鎮まる。
社伝によると、吉野朝時代の創立といわれ、慶長一一年この地を開発したという藤倉大膳が信仰し、続いて大膳が開発したという藤倉の地へも分祀されたという。
正徳元年一一月社殿が再建され、棟札に本宮山西福寺が別当として記載されている。西福寺は天台宗で、『風土記稿』に「寛永三年当寺第十五世詮海とえりたる半鐘を掛たれば、此以前の草創なること知るべし」とある。
現在の本殿は、安政二年三月当地の棟梁龍嶋金太郎により再建された。神明造りで万延元年四月造立の覆屋の内に置かれ、内陣には天神座像二体を安置する。祭神は菅原道真公である。
境内末社は、稲荷社・牛頭天王社・御嶽社の三社があり、特に牛頭天王社は、天文年中川越合戦の際、北条氏康軍中にはやり病を患う者が続出したため、氏康が祀ったものと明暦二年の『牛頭天王由来』は伝えている。
文明年間は修験十玉院が祀職を務めたと伝えるが、実際は明治の初めまで西福寺が別当を務めていた。(「埼玉の神社」より)
南大塚菅原神社所蔵の文化財
- 南大塚菅原神社本殿・拝殿(川越市指定文化財)
南大塚菅原神社本殿・拝殿
社伝によれば南北朝期の創建で、慶長十一年(一六〇六)この地を開発した藤倉大膳が信仰したと伝わります。江戸中期は西福寺が別当をつとめていました。
本殿は、小型の一間社流造で、屋根は木瓦葺とし、千鳥破風、軒唐破風を付けています。身舎の架構は複雑で、かつ彫刻も多用しますが、江戸末期に川越に流行する江戸彫をふんだんに用いた本殿のように、壁一面に彫刻をはめ込むようなことはありません。
また、本殿の前に入母屋造り、桟瓦葺の拝殿がありますが、これも本殿も同時期の造営です。拝殿と本殿とは反橋で結ばれており、連続する空間を形成するという珍しい社殿構成となっています。
また、当社には、建地割図一枚、「天満宮御普請着帳」「天満宮木割覚帳」の造営関係文書二点が残されています。これらの史料から、現社殿は万延元年四月の造営で、当村の大工瀧嶋秀五郎注暉の手になるものとわかります。棟札も二枚残されており、造営関係史料が豊富に残っていることも貴重です。(川越市教育委員会掲示より)
南大塚菅原神社の周辺図