明見院。北野尋常小学校開校地、武蔵國十三仏霊場
明見院の概要
天台宗寺院の明見院は、梅雲山寛窓寺と号します。明見院は、承応年間(1652-1655)に大塚新田の牛窪佐右衛門が責任者となり今福を開発、牛窪佐右衛門の一族といわれる無山高関が寛文3年(1663)に創建、今福菅原神社の別当を勤めていました。江戸時代末期の文久初年(1861)頃より孝學大和尚は寺子屋を開設、明治初年には北野尋常小学校が当寺に開校しています。武蔵国十三仏霊場の(釈迦如来)2番です。
山号 | 梅雲山 |
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院号 | 明見院 |
寺号 | 寛窓寺 |
住所 | 川越市今福677 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
明見院の縁起
明見院は、承応年間(1652-1655)に大塚新田の牛窪佐右衛門が責任者となり今福を開発、牛窪佐右衛門の一族といわれる無山高関が寛文3年(1663)に創建、今福菅原神社の別当を勤めていました。江戸時代末期の文久初年(1861)頃より孝學大和尚は寺子屋を開設、明治初年には北野尋常小学校が当寺に開校しています。
新編武蔵風土記稿による明見院の縁起
(今福村)
明見院
天台宗、小仙波村中院の末、櫻雲山寛窓寺と號す、本尊は彌陀の坐像なり。
觀音堂。十一面觀音を安置す(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による明見院の縁起
客殿庫裡新築記念碑
當山は川越城松平輝綱公の寛文三年(一六六三)初代高関和尚により創建爾来一宇草庵にて幾星霜安永八年(一七七九)第五世豪圓により本堂庫裡を建設、文久初年頃より孝學大和尚により寺子屋教育を明治初年学制発布迄地域文化の興隆に寄与したるも往時の建物は本堂庫裡客殿共草葺なりしを昭和三十八年(一九六三)改装今日に至る。
法燈護持と時代の要求により客殿庫裡の新築を計画檀徒一同の總意により平成二年一月より二ヶ年の歳月を要し完成を見るに至る此の好縁により益々寺門の繁栄を願い併せて各位の協力を永久に顕彰するものである。(境内石碑より)
明見院の周辺図