見立寺。北条氏康の子感譽上人開山、小江戸川越七福神布袋尊
見立寺の概要
浄土宗寺院の見立寺は、壽昌山了心院と号します。見立寺は、北条氏康の子感譽上人(天正2年1574年寂)を開山として、感譽上人の菩提を弔うため、蓮馨尼が蓮馨寺境内に建立寺と称して創建、その後火災を避けて当地へ移転したといいます。小江戸川越七福神の福布袋尊です。
山号 | 壽昌山 |
---|---|
院号 | 了心院 |
寺号 | 見立寺 |
住所 | 川越市元町2-9-11 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 木造阿弥陀如来像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 小江戸川越七福神の福布袋尊 |
見立寺の縁起
見立寺は、北条氏康の子感譽上人(天正2年1574年寂)を開山として、感譽上人の菩提を弔うため、蓮馨尼が蓮馨寺境内に建立寺と称して創建、その後火災を避けて当地へ移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による見立寺の縁起
(高澤町)見立寺
壽昌山了心院と號す、浄土宗、當所蓮馨寺の末寺なり、開山感譽の地に遊行して終る所をしらず、故に其首途せし天正二年五月十八日を以て、暫らく命日とす、感譽俗姓は北條氏にて氏康の子なり、城主大道寺駿河守政繁が母、法諡實泡院柔譽光澤蓮馨とて、永禄十年八月十二日卒す、この人蓮馨寺起立の時、假堂をかの境内に建置しが、蓮馨財をすてて永續せしめ其菩提を祈りしとぞ、其頃は寺號も建立寺とかきて、かの寺の塔頭なれども、火災をさけて後にこの所へうつりしなり、今も蓮馨寺の境内に六段畑と云所あり、是當寺の舊跡なりと云、本尊三尊の彌陀を安ず、又内佛に彌陀の像あり、長一尺四寸、聖徳太子の作と云。
秋葉社(新編武蔵風土記稿より)
見立寺の周辺図