朝日氷川神社。川口市朝日の神社

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朝日氷川神社。川口市朝日の神社

朝日氷川神社の概要

朝日氷川神社は、川口市朝日にある氷川神社です。朝日氷川神社の創建年代は不詳ですが、樋爪村(川口市朝日周辺)、十二月田村(川口市末広周辺)、前田村(川口市前田周辺)、二軒在家村(川口市南鳩ヶ谷周辺)の鎮守社であったといい、明治40年には、大字十二月田字大坪の村社稲荷社、大字二軒在家字稲荷田の無格社稲荷社を合祀しています。

朝日氷川神社
朝日氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素盞嗚命
相殿 -
境内社 須賀神社、大国神社、出世稲荷神社
祭日 -
住所 川口市朝日1-3-15
備考 旧樋爪村の鎮守



朝日氷川神社の由緒

朝日氷川神社の創建年代は不詳ですが、樋爪村(川口市朝日周辺)、十二月田村(川口市末広周辺)、前田村(川口市前田周辺)、二軒在家村(川口市南鳩ヶ谷周辺)の鎮守社であったといい、明治40年には、大字十二月田字大坪の村社稲荷社、大字二軒在家字稲荷田の無格社稲荷社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による朝日氷川神社の由緒

(樋爪村)氷川社
当村及び十二月田・前田・二軒在家の三村の鎮守とせり。薬林寺の持(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による朝日氷川神社の由緒

氷川神社<川口市朝日一-三-一五(朝日町一丁目)>
当社は、『風土記稿』に、樋爪村(二十九日村)・十二月田村・前田村・二軒在家村の鎮守とある。鎮座地は樋爪村の西端にあり、氏子が氷川大神を拝する時は、西方にある芝川を望むがごとくある。現在、社殿裏手の道路は、かつての芝川の堤防跡である。
祭神はスサノヲノミコトで、神仏分離まで内陣には聖観音を奉安していた。別当は、真言宗瑠璃山薬林寺で、開山宥鎮法印は文明十八年(一四八六)五月二十一日の示寂である。当寺は古く芝川の堤外にある大伽藍であったが、天正年中(一五七三-九二)岩槻落城の時、落人が来襲して村民と共に堂字を破壊、その後、今の地に再建したと伝える。
『明細帳』によると、明治四十年六月十四日、大字十二月田字大坪にあった村社稲荷社、大字二軒在家字稲荷田の無格社稲荷社が当社に合祀されている。内陣にはこの両社いずれかのものと思われる「正一位稲荷五柱太神」と墨書された神璽と、高さ二五センチメートルの自然石がある。
本殿は一間社流造りで、鋼板葺きの屋根は千鳥破風付、向拝唐破風である。拝殿内には川口市青木の氷川神社の随身門にあった左大臣、右大臣が奉安されている。現在の幣殿・拝殿は、大正十二年の関東大震災で倒壊し、しばらく本殿のみであったが、昭和十三年七月二十五日、氏子の総意により再建されている。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


朝日氷川神社の周辺図