薬林寺。川口の三薬師、岡の薬師
薬林寺の概要
真言宗智山派寺院の薬林寺は、瑠璃山と号します。薬林寺は、錫杖寺を中興した宥鎮法印(文明18年1486年寂)が開山となり当初芝川付近に創建、天正年間(1573-1592)岩槻城が落城した際兵火に罹災、当地へ移転したといいます。薬師堂に祀られている薬師如来は、岡の薬師といい、領家光音寺・慈林村宝厳院の薬師とともに川口の三薬師と呼ばれていたといいます。北足立八十八ヵ所霊場75番、武蔵国八十八ヶ所霊場75番、武州足立百不動尊霊場33番です。
山号 | 瑠璃山 |
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院号 | - |
寺号 | 薬林寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 川口市朝日1-4-33 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | 薬林寺会館 |
備考 | 岡の薬師 |
薬林寺の縁起
薬林寺は、錫杖寺を中興した宥鎮法印(文明18年1486年寂)が開山となり当初芝川付近に創建、天正年間(1573-1592)岩槻城が落城した際兵火に罹災、当地へ移転したといいます。薬師堂に祀られている薬師如来は、岡の薬師といい、領家光音寺・安行慈林宝厳院の薬師とともに近隣では三薬師と呼ばれていたといいます。
新編武蔵風土記稿による薬林寺の縁起
(樋爪村)薬林寺
新義真言宗、川口町錫杖寺末なり。瑠璃山と号す。本尊弥陀を安ず。其傍に聖徳太子の作らせたまひし薬師を置けり。当寺仏は芝川の堤外にあり。其頃は大伽藍なりしが、天正年中岩槻落城の落人共来りしにより村民つどひで堂宇を打こぼてり。此後再造の時今の地へ移せしと云。開山は本寺の開山宥鎮法印なり。文明18年5月21日と記す。是命日なるべし。いかにと云に、本寺に傳ふる所は18年5月21日、天に上り去しと云に符号するときは、此日世を去しに疑なし。昇天と云は事を霊異にせんとていへるならん。其余り大永5年6月了高と云僧再興せり。故に中興開山と称す。此僧は天文17年3月9日寂せり。
薬師堂。本尊は傳教大師の作なり。此像を岡の薬師と号す。其故は知らず。領家村光音寺及び慈林村宝厳院の薬師を合て、此邊のもの三薬師と称す。霊夢何れも著しと云。又其傍に十二神及び婆子の像を安ず。寺記に拠れば此堂は天文8年4月の造立にして、天正13年11月、立川山城守並に代官大久保内蔵助等大檀那として再興せりと見えたり。これ等の棟札近き頃までありしが、今は失ひしと云。
衆寮。
山王社。天神を合祀せり。(新編武蔵風土記稿より)
薬林寺の周辺図