飯塚氷川神社。恵比寿社として創建、旧飯塚村の鎮守
飯塚氷川神社の概要
飯塚氷川神社は、川口市飯塚にある氷川神社です。飯塚氷川神社の創建年代は不詳ですが、室町末期に岩付太田氏の家臣平柳蔵人が同じ荒川沿いの平柳(現在の元郷)に居住して当地周辺を領有、江戸時代初期には飯塚村が成立していたことから、その時期に飯塚村の鎮守社恵比寿社として創建したのではないかといいます。明治初年に氷川社と改号、明治6年村社に列格、明治40年には字宮脇の神明社・熊野社及び境内社御嶽社、字野中の菅原社、字七台の稲荷社、字小宮地の稲荷社の六社を合祀しています。
社号 | 飯塚氷川神社 |
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祭神 | 素盞嗚尊、天照大御神、伊弉冉尊、速玉男命、事解男命、大山祇命、天御中主命 |
相殿 | - |
境内社 | 御嶽社、三笠山刀利天・八海山神王、菅原社・稲荷社相殿 |
祭日 | - |
住所 | 川口市飯塚1-7-18 |
備考 | 旧飯塚村の鎮守 |
飯塚氷川神社の由緒
飯塚氷川神社の創建年代は不詳ですが、室町末期に岩付太田氏の家臣平柳蔵人が同じ荒川沿いの平柳(現在の元郷)に居住して当地周辺を領有、江戸時代初期には飯塚村が成立していたことから、その時期に飯塚村の鎮守社恵比寿社として創建したのではないかといいます。明治初年に氷川社と改号、明治6年村社に列格、明治40年には字宮脇の神明社・熊野社及び境内社御嶽社、字野中の菅原社、字七台の稲荷社、字小宮地の稲荷社の六社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による飯塚氷川神社の由緒
(飯塚村)
恵美寿社
村の鎮守なり。
天神社
神明社
以上の三社最勝院持。
熊野社、稲荷社二宇。
以上の三社村民持 (新編武蔵風土記稿より)
埼玉県神社庁「埼玉の神社」による飯塚氷川神社の由緒
飯塚氷川神社<川口市飯塚一-七-一八(飯塚字宮脇)>
飯塚は荒川左岸に位置し、その荒川を隔てて東京都北区と接する。
室町末期に岩付太田氏の家臣平柳蔵人が同じ荒川沿いの平柳(現在の元郷)に居住して当地を含む周辺の地域を領有していたとされる。
このころ当地の開発も行われていたものと思われる。江戸期に入ると『田園簿』『元禄郷帳』に一村として飯塚村と見え、宝永三年(一七〇六)には江戸根津権現社領となった。
当社は、荒川の水害を避けて地内でも高台に祀られている。化政期(一八〇四-三〇)の『風土記稿』には村の鎮守として「恵美須社」が載り、氷川社の名は見えない。一方、明治初年の『郡村誌』には村社として「氷川社」が載り、恵美須社は見えない。このことは、当社が明治維新に何らかの理由で恵美須社から氷川社に社名を変えたことを示している。氏子の問にも恵美須社についての伝承は残されておらず、その由来は明らかにできない。
往時の別当は最勝院で、永正十三年(一五二八)に宥光法師により創建されたと伝えられる。
明治六年に村社に列し、同十四年に本殿を再建した。同四十年には字宮脇の神明社・熊野社及び境内社御嶽社、字野中の菅原社、字七台の稲荷社、字小宮地の稲荷社の六社を合祀した。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
飯塚氷川神社の周辺図