力神社。平清盛の嫡流のひ孫六代(平高清・妙覚)にまつわる伝承
力神社の概要
力神社は、川口市伊刈にある神社です。力神社の創建年代等は不詳ながら、平清盛の嫡流のひ孫六代(平高清・妙覚)が当地周辺で隠棲した際に、その従者を祭って創始したとも伝えられるといい、元禄3年(1690)に芝村より分村した際に伊刈村の鎮守社となったといいます。六代(妙覚)にまつわる伝説は、前川観音観福寺にも残されています。
社号 | 力神社 |
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祭神 | 天手力男命 |
相殿 | 稲荷神、高木神 |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 川口市伊刈11 |
備考 | - |
力神社の由緒
力神社の創建年代等は不詳ながら、平清盛の嫡流のひ孫六代(平高清・妙覚)が当地周辺で隠棲した際に、その従者を祭って創始したとも伝えられるといい、元禄3年(1690)に芝村より分村した際に伊刈村の鎮守社となったといいます。
新編武蔵風土記稿による力神社の由緒
(伊刈村)力大明神社
村の鎮守なり、村持相傳ふ、昔六代禅師此地に来りし時、其從者を祭れり、神號はかの從者の名の一字を取て稱すといへど、事實詳ならず、六代のことは前川村の條に出したれば略す。
末社稲荷社。六代権現を合祀す、これは六代禅師を祭れり、又村内畑中に六代権現墓印と唱へ、圍み三尺許の松あり。(新編武蔵風土記稿より)
埼玉県神社庁「埼玉の神社」による力神社の由緒
力神社(川口市伊刈)伊刈字屋尿中
当社の鎮座する伊刈は、一説には、かつて「怒」の字が当てられていたと伝える。また、古くは芝村の内にあり芝伊刈と称していたが、元禄三年(一六九〇)の検地の際に分村したという。
『風土記稿』伊刈村の項に当社は「力大明神社 村の鎮守なり、村持、相伝ふ、昔六代禅師此地に来りし時、其従者を祭れり、神号はかの従者の名の一字を取て称すといヘど、事実詳ならず」とあり、末社は「稲荷社 六代権現を合祀す、これは六代禅師を祭れり」とある。
現在の主祭神は天手力男命であるが、明治に入って社名の「力」から連想されたものであろう。また、相殿に稲荷神と高木神を祀ることから、高木神は『風土記稿』にある六代権現を改めたものであろうか。
ここに登場する六代禅師は、平清盛の嫡流のひ孫に当たる人物で、父は、源平合戦で平家の総大将となった平維盛である。諸記録によると、六代は幼名で、幼かったため平家の西走には加わらず、母と共に京に潜伏していたが、文治元年(一一八五)北条時政に捕らえられた。しかし、文覚上人の助命により上人の下に置かれ、一時、高清と名乗ったが、出家して妙覚となった。文覚上人流罪の後捕らえられ、建久九年(一一九八)に斬られたとされるが、当地方では、守り本尊の加護により当地に難を逃れ、草堂を営み、一門の菩提を弔ったとされ、当社の近くには、妙覚の墓所又は首塚と伝える塚もある。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
力神社の周辺図