石神稲荷社。川口市石神の神社

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石神稲荷社。赤山陣屋設置に際して成立した集落の鎮守

石神稲荷社の概要

石神稲荷社は、川口市石神にある稲荷社です。石神稲荷社の創建年代等は不詳ながら、石神の集落は、関東郡代伊奈忠治が寛永9年(1632)赤山に陣屋を設置する際、附近に点在する民家を集めて作られたといわれ、京都伏見稲荷大社もしくは茨城笠間稲荷神社を勧請して創建したと伝えられ、石神村の鎮守社として祀られていました。明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治41年に字東町裏の無格社神明社及び同境内社の稲荷社を、翌年赤山字山王町の村社日枝神社、赤芝新田字道下乙の村社稲荷社及び同境内社の疱瘡神社、同字無格社明儀社の四社を合祀しています。

石神稲荷社
石神稲荷社の概要
社号 稲荷社
祭神 稲倉魂命
相殿 -
境内社 神明社
祭日 2月初午、夏祈禱7月19日、神嘗祭10月15日
住所 川口市石神503
備考 -



石神稲荷社の由緒

石神稲荷社の創建年代等は不詳ながら、石神の集落は、関東郡代伊奈忠治が寛永9年(1632)赤山に陣屋を設置する際、附近に点在する民家を集めて作られたといわれ、京都伏見稲荷大社もしくは茨城笠間稲荷神社を勧請して創建したと伝えられ、石神村の鎮守社として祀られていました。明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治41年に字東町裏の無格社神明社及び同境内社の稲荷社を、翌年赤山字山王町の村社日枝神社、赤芝新田字道下乙の村社稲荷社及び同境内社の疱瘡神社、同字無格社明儀社の四社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による石神稲荷社の由緒

(石神村)
稲荷社
村の鎮守なり、
神明社
これも鎮守とす、二社共に真乗院持なり(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による石神稲荷社の由緒

稲荷社<川口市石神五〇三(石神字稲荷丸)>
石神は、地内中央部を縦断する日光御成街道に治って集落が発展しており、地内の赤山新町と呼ばれる街道沿いの町場は、江戸時代の寛永九年(一六三二)には関東郡代伊奈忠治により、この陣屋設置の際に付近に点在していた民家を集めて作られたものであるといわれる。住民の中には農業の傍ら商工業を営む者も多く、今でも「たばこ屋」「酒屋」「魚屋」「呉服屋」などと、屋号にその名残がある。
当社は、この集落からやや離れて、日光御成街道の西側の台地の上にあり、京都の伏見稲荷大社もしくは茨城の笠間稲荷神社からの勧請と伝えられる。『風土記稿』石神村の項に「稲荷社村の鎮守なり」と記されているのが当社であり、往時は、地内にある真言宗の真乗院の持ちであった。
明治六年には村社となり、政府の合祀政策に従って同四十一年に同大字字東町裏の無格社神明社及び同境内社の稲荷社の二社を、翌四十二年には更に大字赤山字山王町の村社日枝神社、大字赤芝新田字道下乙の村社稲荷社及び同境内社の疱瘡神社、同字無格社明儀社の四社を合祀した。合祀された諸社のうち、神明社は当社と共に江戸時代には村の鎮守とされていた社であった。そのためか、神明社だけは当社の社殿の横に独立した社殿を設けて祀られている。当社の本殿には荼枳尼天像を安置するほか、境内の神明社には雨宝童子像を納める。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


石神稲荷社の周辺図