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領家稲荷神社。川口市領家の神社、旧村社

領家稲荷神社の概要

領家稲荷神社は、川口市領家にある稲荷神社です。領家稲荷神社の創建年代は不詳ですが、新編武蔵風土記稿に記載されている領家村稲荷社六社のうちの一社と比定されます。明治初年に、本覚山実相寺境内にあった三十番神堂を移築、明治6年に村社に列格、明治40年にはり領家にあった堤根稲荷社、高の原稲荷社、山田稲荷社、菅原稲荷社、内菅原稲荷社、掫木の原稲荷社、外菅原稲荷社、後田稲荷社、町田稲荷社、香取社、天神社、第六天社等を合祀したといいます。

領家稲荷神社
領家稲荷神社の概要
社号 領家稲荷神社
祭神 倉稲魂命
相殿 天照皇大神、少名彦命、菅原道真公、誉田別命、保食命、経津主命
境内社 三十番神社
祭日 例大祭9月
住所 川口市領家2-14-15
備考 -



領家稲荷神社の由緒

領家稲荷神社の創建年代は不詳ですが、新編武蔵風土記稿に記載されている領家村稲荷社六社のうちの一社と比定されます。明治初年に、本覚山実相寺境内にあった三十番神堂を移築、明治6年に村社に列格、明治40年にはり領家にあった堤根稲荷社、高の原稲荷社、山田稲荷社、菅原稲荷社、内菅原稲荷社、掫木の原稲荷社、外菅原稲荷社、後田稲荷社、町田稲荷社、香取社、天神社、第六天社等を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による領家稲荷神社の由緒

(領家村)稲荷社六宇。
一は感応寺持、余は村民の持なり。

疱瘡神社
感応寺持なり。

香取社
天神社二宇
第六天社
右何れも村民持なり。
(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による領家稲荷神社の由緒

江戸時代の領家村の鎮守は、『風土記稿』によると日蓮宗本覚山実相寺境内に鎮座する三十番神堂であった。また、この三十番神は、往古は、荒川堤の南(堤外)にあったと伝えられている。ちなみに三十番神とは、天台宗において一か月三〇日を日替わりで法華経を守護するために選ばれた、著名な三〇の神々をいい、その後この信仰が日蓮宗に取り入れられ、日蓮宗寺院に多く祀られるようになったものである。しかし、当地では、明治初年の神仏分離に伴い、三十番神堂を実相寺から切り離し、神社として祀る上で、仏教色の強い名称をはばかって、三十番神の中から稲荷を選び、改めて村の鎮守としたのが当社である。稲荷を選んだ理由として、実相寺は下総国中山法華経寺の末寺であり、江戸期から法華経寺系の寺院では稲荷を用いて加持祈祷を行い、大いに人気を集めていたことが背景として考えられる。
『明細帳』によると、明治六年に村社となり、同四十年に字堤根の無格社天神社・八幡社二社・稲荷社四社、字山田の無格社稲荷社、字柳ノ間の無格社香取社・稲荷社、字町田の無格社稲荷社、字菅原の無格社稲荷社・天神社、宇内菅原の無格社第六天社・十一面社・唯我神社・水神社・八幡社・七面社・稲荷社三社、字高ノ原の無格社稲荷社四社、字格ノ原の無格社稲荷社、字外菅原の無格社天神社・稲荷社・権現社、字後田の無格社明神社・稲荷社の計三二社を合祀している。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)

境内掲示による領家稲荷神社の由緒

鎮守社領家稲荷神社の創建は、不詳ではあるが、新編武蔵風土記稿によると、現在の領家地区に「村持稲荷社五社(文政五年西暦1822年)」武蔵国村誌には稲荷社八社が記録されている。当社はそのうちの一社とみられ、室町時代から江戸初期の創建と考えられる。また、日蓮宗本覚山実相寺境内に鎮座せる三十番神堂が明治初年の神仏分離に伴い移築され、その際三十番神の中から稲荷神を合祀するなど、村の鎮守様としての格式は高く、広く信仰されている。
明治六年村社に列せられ、明治四十年七月一日には、堤根稲荷社、高の原稲荷社、山田稲荷社、菅原稲荷社、内菅原稲荷社、掫木の原稲荷社、外菅原稲荷社、後田稲荷社、町田稲荷社の九社と、香取社、天神社、第六天社など計三十二社を合祀している。また神仏分離により今では境内社となった三十番神社は、氏子中の人々から「番神様」と呼ばれて敬愛され、内陣には今も昔ながらの三十神の神像が奉安されている。
現在の本殿・拝殿は昭和三年上棟、昭和四年四月二十九日には六丁・花之枝・前耕地の氏子総出で遷宮式が行われた。その後幾度かの増改修が行われ、五穀豊穣、家内安全、商売繁盛の祈願を斎行し今日に至っている。(境内掲示より)


領家稲荷神社の周辺図


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