宗信寺。土屋治郎右衛門が中興開基、銅造クジャク文磬
宗信寺の概要
日蓮宗寺院の宗信寺は、長陽山と号します。宗信寺は、日蓮上人の六高弟の一人白蓮阿闍梨日興上人が、正応四年(1291)富士山光妙寺と号して創建、その後、当地に入植した土屋治郎右衛門が、亡き父土屋豊前守の菩提を弔うため、池上本門寺19世日豊上人を招請し、当地へ移転して寛永6年(1629)に中興開基しました。当寺の銅造クジャク文磬は開山日興上人の名が陰刻された鎌倉時代の作で、埼玉県指定有形文化財に指定されています。
山号 | 長陽山 |
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院号 | - |
寺号 | 宗信寺 |
本尊 | 日蓮上人像 |
住所 | 川口市上青木2-31-8 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
宗信寺の縁起
宗信寺は、日蓮上人の六高弟の一人白蓮阿闍梨日興上人が、正応四年(1291)富士山光妙寺と号して創建、その後衰廃して延龍坊と号していましたが、当地に入植した土屋治郎右衛門が、旧武田家家臣だった亡き父土屋豊前守の菩提を弔うため、池上本門寺19世日豊上人を招請し、当地へ移転して寛永6年(1629)に中興開基しました。
境内掲示による宗信寺の縁起
宗信寺
日蓮宗に属し、山号は長陽山という当寺は、同宗開祖日蓮の六高弟の一人白蓮阿闍梨日興上人により、鎌倉時代の正応四年(1291)三月、ここ上青木の地に創建された富士山光妙寺を前身とする寺です。その後江戸時代の前期に、武田信玄の家臣であった土屋備前守宗次が、池上本門寺(現東京都大田区所在)19世の日豊上人を中興の祖として招き、現在の地に建立したものです。(境内掲示より)
新編武蔵風土記稿による宗信寺の縁起
(上青木村)
宗信寺
日蓮宗、荏原郡池上本門寺末、長陽山と號す、古は前の淺間社の所にあり、彼所の小名を富士原と云、故に富士山光妙寺と號せしなり、開山日興は日蓮の弟子六老僧の一にて、永仁参年正月七日寂せり、其後此寺故ありて退轉し、延龍坊とて僅の草庵となりしが、寛永六年村民土屋治郎右衛門が父豊前守追福のため今の地に移し、本寺十九世の僧日豊を請じて中興開基せり、即父豊前守が法謚及び己が逆修の法謚を取て、長陽山宗信寺と號すと云、かの豊前守は甲斐國武田氏に仕え、同國にて卒せりと云のみにて、其傳詳ならず、又其子孫近き頃まで村内に住せしが、今は絶たり、本尊釋迦を安ず、
寺寶。古磬一
鐘樓。天明五年新鑄の鐘をかく」、
三十番神社、
稲荷社
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富士淺間社
社地は村内宗信寺の舊地にして、當社は則境内鎮守なりしと云、社は丘上にて下に御手洗池あり、今も宗信寺持、(新編武蔵風土記稿より)
宗信寺所蔵の文化財
- 銅造クジャク文磬(埼玉県指定有形文化財)
銅造クジャク文磬
ここ宗信寺には、鎌倉時代に製作された青銅製の磬が保存されています。
磬とは仏教の法要儀式に用いる仏具の一つで、読経の区切りを示す時などに打ち鳴らされ使われるものです。その起源は古代中国の祭礼用打楽器で、後に、仏教と共に仏具として日本に伝えられ、普及したものです。
この磬の形状は、横14.7cm、縦6.8cmで、中央の撞座に八葉の蓮華文様、その左右に、尾と羽を広げた孔雀の姿が表裏両面に表されています。また、肩と測縁の表裏には「光明寺」「富士山」「日興」「上青木」「正応四」「卯三月」の銘文が陰刻されており、日蓮宗開祖日蓮の六高弟の一人として著名な、日興上人との深い関係がしのばれます。
なお、この磬は、鎌倉時代の作として全国でもめずらしくとても貴重なものです。(境内掲示より)
宗信寺の周辺図