実正寺。武蔵国八十八ヶ所霊場
実正寺の概要
真言宗智山派寺院の実正寺は、光照山無量寿院と号します。実正寺の創建年代は不詳ですが、僧宥賢(弘治2年1556年寂)が中興したといいます。武蔵国八十八ヶ所霊場76番です。
山号 | 光照山 |
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院号 | 無量寿院 |
寺号 | 実正寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 川口市南鳩ヶ谷3-15-14 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | 実正寺弘法館 |
備考 | - |
実正寺の縁起
実正寺の創建年代は不詳ですが、僧宥賢(弘治2年1556年寂)が中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による実正寺の縁起
(中居村村)実正寺
新義真言宗、川口町錫杖寺末なり。光照山無量寿院と号す。開山詳ならず。中興第一世の僧宥賢は、弘治二年三月廿二日寂すといへば、古く開けしこと知るべし。本尊弥陀を安ず、恵心の作とも又は春日の作ともいへり。傍に地蔵を置り、弘法大師の作なり。此像の左手を失ひしにより、度々佛師に命じて補はしむといへども忽ち失ひて元の如し、これ高僧の作なるを凡下の修補する故ならんとて、其後は修造せずと云。又厨子の背後に高野山萱堂成就院宥栄、寛永十八年十月廿四日奉求之と記せり。さて当寺に伝来の由緒は、先住良賢高野山に遊学して、下山の折から師の僧より譲り請しと云、外に文殊の銅像を安ず。これ天竺より持渡りし像なりと云、いかさま面相以下普通の像とは見えず。
薬師堂。本尊の傍に日光・月光・十二神等を安ず。新四国八十八カ所のうち讃岐国金倉寺に擬せりと云。当寺の過去帳に第六世訪印宥海の時。貞享五年九月十六日客殿一宇薬師堂等を造営して、免田を寄付すと見ゆ。此時始て此堂を造りしにや。
愛宕社。渡唐天神・疱瘡神等を相殿とす。境内の鎮守なり。(新編武蔵風土記稿より)
実正寺所蔵の文化財
- 阿弥陀庚申塔(川口市指定文化財)
実正寺の周辺図