昌福寺。新郷村の小学校開校地
昌福寺の概要
曹洞宗寺院の昌福寺は、荷葉山と号します。昌福寺は、苗運惠胤大和尚(天正4年1576年3月20日没)が開山となり創建したといいます。江戸期に寺子屋として子弟教育にあたっていたことから、明治6年から約30年新郷村の小学校として教育に携わっていたといいます。
山号 | 荷葉山 |
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院号 | - |
寺号 | 昌福寺 |
本尊 | 釈迦牟尼佛像 |
住所 | 川口市本蓮1-12-39 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
昌福寺の縁起
昌福寺は、苗運惠胤大和尚(天正4年1576年3月20日没)が開山となり創建したといいます。江戸期に寺子屋として子弟教育にあたっていたことから、明治6年から約30年新郷村の小学校として教育に携わっていたといいます。
新編武蔵風土記稿による昌福寺の縁起
(蓮沼村)昌福寺
曹洞宗、里村法性寺の末なり、荷葉山と號す、開山苗運惠胤は、天正四年三廿日寂せり、本尊三尊の弥陀を安ず。
白山社。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による昌福寺の縁起
室町時代、苗運惠胤大和尚(天正4年1576年3月20日没)による開山。
山号の荷葉山の由来は、当時当所が、蓮沼田の湿地帯であったことから生まれたものである。
江戸時代は寺子屋として、地域の子弟の教育の場であったが明治初めの学制発布によって、明治6年(1873)から明治38年(1905)まで新郷村の小学校であった。
当時の本堂は安永5年(1776)正月十日に建設された広い本堂で、法堂としてばかりではなく、学校教育の教室としての地域の重要な施設でもあった。(境内掲示より)
昌福寺所蔵の文化財
- 菅原道真の木彫
- 釈迦本尊
- 寺子屋時代の書物
昌福寺の周辺図