宝泉寺。川口市大竹にある曹洞宗寺院
宝泉寺の概要
曹洞宗寺院の宝泉寺は、長久山と号します。宝泉寺は、安行吉岡金剛寺四世高庵永薫大和尚を開山に迎え、新井太郎右エ門勝行(慶長15年1610年歿)が開基となり創建したといいます。
山号 | 長久山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 宝泉寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 川口市大竹248 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
宝泉寺の縁起
宝泉寺は、安行吉岡金剛寺四世高庵永薫大和尚を開山に迎え、新井太郎右エ門勝行(慶長15年1610年歿)が開基となり創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による宝泉寺の縁起
(大竹村)宝泉寺
曹洞宗、安行村金剛寺末、長久山と號す、開山の僧を高庵永薫と云、天正十九年四月十六日寂す、本尊弥陀を安す
淡島社(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による宝泉寺の縁起
当寺の開基は新井太郎右エ門勝行と称し清和源氏十五代の後胤江戸城主太田資長入道道灌の曾孫高公の三男源四郎資行が岩槻城内にて成長し後岩槻領内の大田新井村(現白岡町)隠穂し姓を新井名を太郎右エ門勝行と改め初祖となる(草加市花栗現新井義春氏の祖先現在十五代目)大竹村花栗村の両村長をつとめる勝行は大竹村に堂宇を建立し自ら開基となり安行吉岡の金剛寺四世高庵永薫禅師を招請して開山とし、長久山宝泉寺と称した(天正年間今より四百二十年前)
開山金剛寺四世高庵永薫大和尚(天正十五年四月十六日卒三百二十五年前)
開基新井太郎右エ門勝行(慶長十五年六月二日卒三百八十二年前)(境内掲示より)
宝泉寺の周辺図