表稲荷神社。養竹院の鬼門除け、表村の鎮守
表稲荷神社の概要
表稲荷神社は、比企郡川島町表にある神社です。表稲荷神社は、下総国成田の住人が筑波山麓にある某稲荷大神の分霊を勧請して天文11年(1542)に創建したと伝えられます。天正11年(1583)当地へ遷座、養竹院の鬼門除けとして奉斎され、表村の鎮守として祀られ、鰐口も奉納されるなど信仰を集めてていました
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 稲荷神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 春祭り3月28日、秋祭12月22日 |
住所 | 比企郡川島町表20 |
備考 | - |
表稲荷神社の由緒
表稲荷神社は、下総国成田の住人が筑波山麓にある某稲荷大神の分霊を勧請して天文11年(1542)に創建したと伝えられます。天正11年(1583)当地へ遷座、養竹院の鬼門除けとして奉斎され、表村の鎮守として祀られ、鰐口も奉納されるなど信仰を集めてていました。
新編武蔵風土記稿による表稲荷神社の由緒
(表村)
稲荷社
村の鎮守なり、古棟札二枚あり、一は天文廿三年二月九日とあり、一は天正十一年癸未卯月廿一日と記し、施主等の名あまた載せたり、小社といへども古き勧請なること知べし、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による表稲荷神社の由緒
稲荷神社<川島町表二〇(表字道内)>
杉林に包まれてひっそりと鎮座する当社は、社記によれば、天文十一年(一五四二)四月二十一日に下総国成田(現千葉県成田市)の住人某が、常陸国(現茨城県)筑波山麓にある某稲荷大神の分霊を持ち来り、養竹院の東北隅に祀ったことに始まるという。その後、天正十一年(一五八三)四月二十一日に、現在の境内地に移され、養竹院の鬼門除けの神として奉斎されてきた。
更に、宝永八年(一七一一)三月三日には草葺の覆屋が造立され、次いで天保二年(一八三一)三月には拝殿が再建されるなど、次第に設備も整い、諸願成就の神として、多くの人々からも信仰されるようになっていった。『風土記稿』に、「稲荷社村の鎮守なり、古棟札二枚あり、一は天文廿三年(一五五四)二月九日とあり、一は天正十一年癸未卯月廿一日と記し、施主などの名あまた載せたり、小社といへども古き勧請なること知べし」とあるのも、そのように信仰が盛んになっていったことの表れであろう。
神仏分離の後は、養竹院との関係はなくなったが、村社として、住民からは前にも増して厚く信仰されるようになった。しかし、社殿の老朽化が激しくなったため、昭和二十三年には境内の樹木を伐採し、拝殿と幣殿を改築した。そのため、一時は、樹木が少なく、寂しい境内になっていたが、氏子の植樹の成果が実り、杜が復興しつつある。(「埼玉の神社」より)
表稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)