両園部氷川神社。比企郡川島町北園部の神社

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両園部氷川神社。南園部・北園部の鎮守

両園部氷川神社の概要

両園部氷川神社は、比企郡川島町北園部にある神社です。両園部氷川神社は、但馬重兼が天正年間(1573-1592)に土着して開発、彼の故郷丹波国園部より村名を園部とし、慶長7年(1602)に村民協議の上、大宮宿の氷川神社を勧請して創建、園部村の鎮守としたといいます。当地北側にはかつて「安藤沼」があったことから、見沼を望む位置に鎮座する大宮宿の氷川神社を模して鎮座したと推定されています。園部村は、元禄年間(1688-1704)に分村していますが南園部・北園部双方の鎮守として祀られ、当地は北園部の飛地にあたります。明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、明治40年に神明社を合祀しています。

両園部氷川神社
両園部氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 八坂神社、稲荷社、御嶽社
祭日 例祭4月9日、天王様7月25日
住所 比企郡川島町北園部636
備考 -



両園部氷川神社の由緒

両園部氷川神社は、但馬重兼が天正年間(1573-1592)に土着して開発、彼の故郷丹波国園部より村名を園部とし、慶長7年(1602)に村民協議の上、大宮宿の氷川神社を勧請して創建、園部村の鎮守としたといいます。当地北側にはかつて「安藤沼」があったことから、見沼を望む位置に鎮座する大宮宿の氷川神社を模して鎮座したと推定されています。園部村は、元禄年間(1688-1704)に分村していますが南園部・北園部双方の鎮守として祀られ、当地は北園部の飛地にあたります。明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、明治40年に神明社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による両園部氷川神社の由緒

(南薗部村)
氷川社
南北薗部村の鎮守なり、北薗部村醫音寺持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による両園部氷川神社の由緒

氷川神社<川島町北園部六三六(北園部字安藤町)>
かつて北園部村の西南万の飛び地に「安藤沼」と呼ばれる大きな沼があった。この沼の南側の杜に祀られていたのが当社である。
当地の開発は、天正年間(一五七三-九二)に但馬重兼なる者が土着して行われたと伝え、その祖先の郷里である丹波国園部郷の地名を採って園部と定めたという。下って、慶長七年(一六〇二)に村人一同が協議の上、足立郡大宮宿の氷川神社を勧請し、村の鎮守とした。
当時、氷川神社が武蔵国一の宮として広く名が知られていたことが鎮守として選定されるに至った理由である。また、本社である氷川神社は、正保期(一六四四-四八)の古図を見ると、広大な見沼を望む高鼻と呼ばれる高台の鬱蒼たる杜の中に鎮座しており、当社もこれに倣って安藤沼のほとりに奉斎されたことは想像するに難くない。
『風土記稿』は「氷川社南北園部村の鎮守なり、北園部村医音寺持」と載せている。一方、『明細帳』によると、明治四年に村社となり、同四十年には無格社四社を合祀した。ただし、実際に合祀が行われたのは、字江ノ島町の神明社の一社だけで、ほかの三社はそのまま残された。なお、当社の神域であった安藤沼は、大正期から昭和初期にかけて埋め立てられた。(「埼玉の神社」より)


両園部氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)