戸守氷川神社。旧戸守郷の総鎮守
戸守氷川神社の概要
戸守氷川神社は、比企郡川島町戸守にある神社です。戸守氷川神社の創建年代等は不詳ながら、中世には当地が戸守郷の中央にあたり、戸守郷の総鎮守として祀られていたと伝えられます。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | 八幡神・稲荷神 |
境内社 | 御嶽山座王権現 |
祭日 | 例祭4月10日、氷川様の灯籠7月9日、新嘗祭12月9日 |
住所 | 比企郡川島町戸守1121 |
備考 | - |
戸守氷川神社の由緒
戸守氷川神社の創建年代等は不詳ながら、中世には当地が戸守郷の中央にあたり、戸守郷の総鎮守として祀られていたと伝えられます。
新編武蔵風土記稿による戸守氷川神社の由緒
(戸守村)
氷川社
村の鎮守なり、薬師寺持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による戸守氷川神社の由緒
氷川神社<川島町戸守一一二一(戸守字中郷)>
当地は、中世の史料に登場する「戸守郷」に比定されている。当社はこの戸守郷の惣鎮守であったと伝えられており、郷中の中央である中郷に鎮座している。
郷名の初見は、正平七年(一三五二)の足利尊氏袖判下文で、尊氏は戸守郷を高師業に安堵している。下って至徳三年(一三八六)に鎌倉公方足利氏満は、戸守郷を下野国足利の鑁阿寺に寄進し、以後、室町後期まで同寺の寺領となった。享徳二年(一四五三)、享徳二年(一四五三)寺領代官の報告によれば、戸守郷と近隣の尾美野郷・八林郷は用水争論を起こしている。中世、各郷における権力者は、地生の「おとな」と呼ばれる者たちで、これらは、郷中間の用水談合、代官に対する年貢減免要求など、郷中経営ばかりでなく、「郷の惣鎮守」である当社の祭祀にも深く関与していたと思われる。当時から当社の神は、治水神、五穀豊穣の神とされていたことから、郷民の寄せる祈りは厚いものがあった。
下って、江戸期の享保十八年(一七三三)、棟札によると社殿を造営している。これには、八幡大明神、稲荷大明神の二神が記されている。また、江戸後期に活躍した神祇伯の白川資延は、当社氷川大明神と、ほか二神に正一位の神位を授与している。別当については『風土記稿』に、薬師寺持ちとあり、同寺は明治初年に廃寺となった。(「埼玉の神社」より)
戸守氷川神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)