加藤観音堂。比企郡川島町長楽にある寺院
加藤観音堂の概要
寺院の加藤観音堂の創建年代等は不詳ながら、当地周辺は加藤と呼ばれる集落で、江戸期には今泉村に属していました。加藤地区には観音菩薩を本尊とする寺があったものの、寺が地所を売ってしまったことから、観音像を当地の馬場家で安置、その後当地に祀るようになったと伝えています。
旧山号 | - |
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旧院号 | - |
旧寺号 | - |
本尊 | - |
住所 | 比企郡川島町長楽 |
宗派 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
加藤観音堂の縁起
加藤観音堂の創建年代等は不詳ながら、当地周辺は加藤と呼ばれる集落で、江戸期には今泉村に属していました。加藤地区には観音菩薩を本尊とする寺があったものの、寺が地所を売ってしまったことから、観音像を当地の馬場家で安置、その後当地に祀るようになったと伝えています。
新編武蔵風土記稿による加藤観音堂の縁起
(今泉村)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)
埼玉の神社による加藤観音堂の縁起
氷川神社<川島町長楽二五五(長楽字柳原)>
加藤には、字で祀る観音様と稲荷様がある。観音様は、かつてこれを本尊として祀っていたお寺が地所を売ってしまい、本尊様の置き場がなくなったため、下の大臣と呼ばれる馬場家に長いこと安置されていた。ところが同家に間が悪いことが起こったため、それを機に堂を建て、この地に祀るようになったといわれている。八月七日の祭典には、各家から灯龍を一張ずつ持ち寄り、お堂の周りに飾り付けをした後、村の者が立ち寄って酒を酌み交わす。この時、附されたろうそくのなるべく短い燃え残り”オロウ”と称して姑が頂いて持ち帰っている。嫁のお産が始まる際にこのオロウを灯すと、燃え切るまでに無事出産するといわれており、そのため短いものが好まれるのである。(新編武蔵風土記稿より)
加藤観音堂の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿