金剛寺。比企佐馬助則員中興、武州八十八所霊場
金剛寺の概要
真言宗智山派寺院の金剛寺は、清月山元光院と号します。金剛寺の創建年代等は不詳ながら、比企佐馬助則員(元和2年1616年寂、法名正徳元光大禅定門)が中興、院号の元光院は、比企佐馬助則員の法名元光に由来するといいます。武州八十八所霊場55番です。
山号 | 清月山 |
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院号 | 元光院 |
寺号 | 金剛寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 比企郡川島町中山1198 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
金剛寺の縁起
金剛寺の創建年代等は不詳ながら、比企佐馬助則員(元和2年1616年寂、法名正徳元光大禅定門)が中興、院号の元光院は、比企佐馬助則員の法名元光に由来するといいます。
新編武蔵風土記稿による金剛寺の縁起
(中山村)
金剛寺
清月山元光院と號す、新義眞言宗、入間郡石井村大智寺末、本尊釋迦を安ず、開山詳ならず、後に比企佐馬助則員中興す、境内に則員が墓あり、法名元光元和二年三月十九日卒すと、今用る院號は此法謚に取し事知べし、則員子孫は村民にあり、
鐘樓。鐘は正保年間中興檀越則員の子、次左衛門義尚建立せしが、此鐘損ぜし故、延享年中改め鑄しと云、
白山社
阿彌陀堂(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉宗教名鑑」による金剛寺の縁起
金剛寺
創立年代は不詳。
中興開基は元和2年(1616年)3月19日に没した比企佐馬助則員で、戒名を玄光という。荒川の氾濫で本堂、古記録を失い詳細不明である。(「埼玉宗教名鑑」より)
金剛寺所蔵の文化財
- 木造阿弥陀如来坐像(川島町指定有形文化財・彫刻)
木造阿弥陀如来坐像
この阿弥陀如来坐像は、真言宗智山派清月山元光院金剛寺の本尊である。当寺の開山は不詳であるが、天正年間に比企佐馬助則員が中興したと伝えられる。則員の墓地は境内にあり、法名を正徳元光大禅定門(元和二年三月十六日卒-一六一六)と称する。本尊阿弥陀如来は、則員の父政員の持仏として、古くは境内の阿弥陀堂に安置されていたが、後に本堂に遷座したものである。
鎌倉期の作、像高七一・〇cm
桧材寄木造 五眼を嵌入し、肉身部は金泥、衣部は漆箔をおく。肉髻珠、白毫珠はともに水晶を入れる。螺髪は髪際三二例、地髪六段、肉髪九段に彫出する。耳朶は環状を呈す。通肩の法衣をまとい、上品上生の弥陀定印を結び、三重の蓮華座上に結跏趺坐sる。
像は頭体幹部を耳後で前後に割矧ぎ、頭部三道下で割首とするが、さらに背面材は左肩よりで左右にも割っている。右腕は肩、臂、手首でそれぞれ別材を寄せる。
膝裏の修理墨書銘のなかに、「天正三年乙亥三月十五日」(一五七五)、「再興于時文政二己卯天五月吉旦」(一八一九)とある。
平成元年十月二十六日、川島町指定文化財・彫刻に指定。(川島町教育委員会掲示より)
金剛寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉宗教名鑑」