正泉寺。川島町文化財・比企西国三十三所観音霊場の観世音菩薩像
正泉寺の概要
天台宗寺院の正泉寺は、普門山と号します。正泉寺の創建年代等は不詳ながら、幕末の戊辰戦争に際して上野寒松院亮徳が彰義隊の戦乱をさけて当寺に来たと伝えられるそうです。観音堂の正観世音菩薩像は、川島町有形文化財に指定されている他、比企西国三十三所観音霊場10番となっています。
山号 | 普門山 |
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院号 | - |
寺号 | 正泉寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 比企郡川島町中山1209 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正泉寺の縁起
正泉寺の創建年代等は不詳ながら、幕末の戊辰戦争に際して上野寒松院亮徳が彰義隊の戦乱をさけて当寺に来たと伝えられるそうです。
新編武蔵風土記稿による正泉寺の縁起
(中山村)
正泉寺
天台宗、下青鳥村浄光寺門徒、普門山と號す、
觀音堂(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉宗教名鑑」による正泉寺の縁起
正泉寺
往時は天台修験の祈願所であったが、上野寒松院亮徳は彰義隊の戦乱をさけて当寺に来たといわれている。
当寺は比企西国三十三観音霊場の第10番札所になっている。(「埼玉宗教名鑑」より)
正泉寺所蔵の文化財
- 木造聖観音坐像(川島町指定有形文化財・彫刻)
木造聖観音坐像
この観音像は天台宗普門山正泉寺の観音堂本尊で現在は魚籃観音とも呼ばれているが、厨子内の修理銘札(宝暦九年)によると「正観世音菩薩」とある。
像は高い垂髻を結い、通肩の衲衣をまとい、下帯の結び目を衣の間にのぞかせ、膝上で禅定印を結び、法衣の裾を台座下に長く垂らした、いわゆる法衣垂下形式を表わしており、右足前に結跏趺坐する。台座は蓮台、岩座框座からなる。光背は円光背。
桧材寄木造り、玉眼、肉身金泥彩、衲衣胡粉地に彩色、像底布貼、内刳、宝冠は銅板切抜。
構造は、頭部は耳後で前後二材を寄せ、体幹部前後二材とし両側面各別材を寄せる。裳先別材、法衣垂下部は三材を寄せる。
南北朝期の作、総高六九・二cm、県内の法衣垂下像としては、比較的初期の作。
なお、堂内には観音堂棟札「奉造立観音堂一宇」享保十四己酉三月十六日(一七二九)、本尊修理銘札「奉彩光正観世音菩薩」宝暦九歳己卯十二月吉日(一七五九)、本尊台座横板墨書銘「右再興補助」文政四辛巳年六月吉辰(一八二一)が保存されている。
平成元年十月二十六日、川島町指定有形文化財・彫刻に指定。(川島町教育委員会掲示より)
正泉寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉宗教名鑑」