長福寺。比企郡川島町上八ッ林にある臨済宗円覚寺派寺院
長福寺の概要
臨済宗円覚寺派寺院の長福寺は、萬富山と号します。長福寺は、養竹院第2世奇文禅才和尚(元亀2年1571年寂)が開山、境内には岩槻太田氏に仕えていた小高伊賀守・小高大炊助の墓が残されているそうです。
山号 | 萬富山 |
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院号 | - |
寺号 | 長福寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 比企郡川島町上八ッ林883 |
宗派 | 臨済宗円覚寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長福寺の縁起
長福寺は、養竹院第2世奇文禅才和尚(元亀2年1571年寂)が開山、境内には岩槻太田氏に仕えていた小高伊賀守・小高大炊助の墓が残されているそうです。
新編武蔵風土記稿による長福寺の縁起
(上八ツ林村)
長福寺
萬富山と號す、禅宗臨済宗派、表村養竹院末、開山は本山第二世僧奇不二、元亀二年十二月十四日寂す、境内に小高伊賀守大炊助が墓あり、大炊助が名は道祖土文書にもみえて、岩槻太田氏に仕へし人とみゆ、其法謚を遠山善久居士と云、元和四年二月十四日歿す、伊賀守が法謚を伯翁禅悦居士と云、慶長十三年八月十九日歿す、其子孫近き頃まで此村にありて相續せしが、今は他へ行きしと云、當寺に太田氏資・同氏房より出せし文書あり、其文に(文面省略)
稲荷社
地蔵堂(新編武蔵風土記稿より)
長福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿