北小浜八幡社。北小浜の獅子舞
北小浜八幡社の概要
北小浜八幡社は、加須市睦町にある八幡社です。北小浜八幡社は、寛文11年(1671)に創建、小浜村の鎮守として祀られ、また当地は小浜村と称されていた周辺で一番の高地だといいます。明治5年村社に列格しています。当社の獅子舞は、「北小浜の獅子舞」として加須市無形民俗文化財に指定されています。
社号 | 八幡社 |
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祭神 | 誉田別命、別雷命、倉稲魂命、市杵島姫命 |
相殿 | - |
境内社 | 三峯神社 |
祭日 | 元旦祭、春祭り、四方固め、秋祭り |
住所 | 加須市睦町2-7-49 |
備考 | - |
北小浜八幡社の由緒
北小浜八幡社は、寛文11年(1671)に創建、小浜村の鎮守として祀られ、また当地は小浜村と称されていた周辺で一番の高地だといいます。明治5年村社に列格、明治40年字堂前無格社雷電社、同稲荷社二社、字尾前同厳島社を合祀しています(合祀された社はそのご復祀)。
新編武蔵風土記稿による北小浜八幡社の由緒
(小濱村)
八幡社
村の鎮守なり、寛文十一年造立する處なり、
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雷電社
稲荷社二宇
辨天社
以上地蔵院持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による北小浜八幡社の由緒
八幡社<加須市睦町二-七-四九(北小浜字堂前)>
当地は会ノ川(旧利根川)左岸の自然堤防上に位置する。北小浜の地名は当地が水の多い所であり、小さな浜のような地域であったことに由来する。当社の鎮座する堂前という耕地の地名は、現在の地蔵院の前身であった地蔵堂の前の耕地というところより起こったという。社地は当地区でも一番の高地である。
当社の創立は『風土記稿』に「八幡社村の鎮守なり、寛文十一年造立する処なり、雷電社 稲荷社二字 弁天社、以上地蔵院持」と記され、『明細帳』には「往古々利根川堤ニシテ現今境内トナリ、八幡社ノ公称アルハ享保五年十二月十九日ナリ、明治五年中村社ニ申立済、同四十年三月二十九日上知林九畝廿壱歩境内編入許可、同年七月十三日字堂前無格社雷電社、同稲荷社二社、字尾前同厳島社ヲ合祀ス」と記す。明治四〇年に三社が合祀されたが、その後、旧民子に災難が相次いだためこれらは旧地に戻されたという。境内社として明治元年創立の三峰社がある。
大正一三年覆屋・拝殿が建立されるが、昭和二二年のキャサリン台風により社殿が半壊し、修復を行う。この時、神像も被害を受けたため、新たに八幡神像を浅草(東京都)の神具店より手に入れて祀る。(「埼玉の神社」より)
「加須市の神社・寺院」による北小浜八幡社の由緒
当神社の創建年月日は明らかでないが、寛文十一年(一六七一)創建とつたえられる(北)小浜村の鎮守である(『風土記』)。当社は、往古は利根川の堤塘敷であったといわれ、さらに現八幡神社の名称は、記録によれば享保五年(一七二〇)十二月十九日よりあると伝えられている。
明治五年(一八七二)、神仏分離に伴う社格の制度化によって村社に列し、同四十年三月二十九日には、上地林九畝二十一歩の境内編入が許可されている。同年七月十三日には、字堂前地の無格社雷電社、同稲荷社、及び字尾前地内の無格社厳島社の三社をそれぞれ合祀している。大正十三年(一九二四)十一月には、拝殿が氏子の寄進により完成している。昭和六年(一九三一)九月二十一日には、地震により本殿が半壊したが、その後再建されている。(「加須市の神社・寺院」より)
北小浜八幡社所蔵の文化財
- 北小浜の獅子舞(加須市指定無形民俗文化財)
北小浜の獅子舞
寛文一〇年(一六七〇)に八幡神社の創立により、五穀豊穣、商売繁盛、悪魔降伏を祈って獅子舞を行ったのが始まりといい伝えられている。
毎年七月一一日北小浜一円を行列を組んでまわり、七月三一日の名越祭は、社殿前から北に向かい葛西用水に架かる橋から形代を流す。
九月一五日の秋祭には、社殿前で「初庭」「中庭」「末庭」の舞を奉納する。道中は提灯を先頭に笛・獅子が続き道中囃子を奏でる。
構成人数は獅子三・笛四・提灯四・世話人三の計一四人である。(加須市教育委員会掲示より)
北小浜八幡社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)
- 「加須市の神社・寺院」