南小浜熊野社。加須市南小浜の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

南小浜熊野社。紀州熊野神社の分霊を勧請

南小浜熊野社の概要

南小浜熊野社は、加須市南小浜にある熊野社です。南小浜熊野社の創建年代等は不詳ながら、紀州熊野神社の分霊を勧請したものと伝えられ、江戸時代には王子社・稲荷社と共に村内で祀られていました。明治維新後の神仏分離令に際し、青蓮寺近くで祀られていた王子社を当社に合祀、明治5年村社に列格、明治42年には字新川通地内の無格社稲荷社を合祀しています。

南小浜熊野社
南小浜熊野社の概要
社号 熊野社
祭神 家都御子神、熊野夫須美命、速玉男命、倉稲魂命
相殿 -
境内社 -
祭日 天王様7月7・14日、秋祭り10月10日
住所 加須市南小浜557
備考 -



南小浜熊野社の由緒

南小浜熊野社の創建年代等は不詳ながら、紀州熊野神社の分霊を勧請したものと伝えられ、江戸時代には王子社・稲荷社と共に村内で祀られていました。明治維新後の神仏分離令に際し、青蓮寺近くで祀られていた王子社を当社に合祀、明治5年村社に列格、明治42年には字新川通地内の無格社稲荷社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による南小浜熊野社の由緒

(小濱村)
王子社
村の鎮守なり、青蓮寺の持、下二社同、
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稲荷社
熊野社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による南小浜熊野社の由緒

熊野社<加須市南小浜五五七(南小浜字新川通)>
南小浜は市の南部に位置する農村地帯で、かつては騎西領の一村で小浜村といった。明治二一年に郡制が施行され、北埼玉郡に属した際、郡内に同名の村(現加須市北小浜の辺り)があったことから、混同を避けるために南の字を冠し、南小浜と改称した。当社の鎮座する字新川通の名は新川用水沿いに集落があることに由来する。
当社は紀州熊野神社の分霊であるといわれ、家津御子神・熊野夫須美神・速玉男神の熊野三神を祀り、古くから熊野大権現と呼ばれ、信仰されている。古老の話に一間社流造りの本般には、幣束三本と神像二体が納められ、その一体は合祀した稲荷社〈後述〉の狐に乗った稲荷神像であるが、もう一体は閻魔王座像と伝える。閻魔王座像の来歴は明らかではないが、これは現世利益だけではなく、後生には善処に生まれることを希求するという熊野信仰の性格から、冥土において亡者を裁く十王の主座である閻魔王を記ったものではないかと思われる。
『風土記稿』の南小浜には王子社・稲荷社・熊野社の三社があり、共に真言宗青蓮寺の持ちとある。往時、村の鎮守は王子社であり、古くから青蓮寺境内に祀られていたが、明治初めの神仏分離に際し、これを熊野社に併せ祀るようになったことから、明治五年には熊野社が村社となった。次いで、同四二年には字稲荷山の稲荷社を合祀した。(「埼玉の神社」より)

「加須市の神社・寺院」による南小浜熊野社の由緒

当社の創建年月日は明らかでないが、『風土記』によれば(南)小浜村の青蓮寺持ちとされている。
明治五年(一八七二)五月、神仏分離令に伴う社格の制度化によって村社に列し、同四十二年四月十三日には字新川通地内の無格社稲荷社を合祀している。昭和四十二年(一九六七)四月十五日には、本殿の改築が落成し、盛大な御遷宮祭が挙行された。(「加須市の神社・寺院」より)


南小浜熊野社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)
  • 「加須市の神社・寺院」