下高柳八坂社。水の神として八坂社を創祀
下高柳八坂社の概要
下高柳八坂社は、加須市下高柳にある八坂社です。下高柳八坂社の創建年代等は不詳ながら、当地には常に湧き出る豊かな泉があったことから、地名を下高柳とし、水の神として八坂社を祀ったといいます。明治維新後の社格制定に際して明治5年村社に列格、明治32年に神明社を合祀しています。
社号 | 八坂社 |
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祭神 | 素戔嗚命・表筒男命・中筒男命・底筒男命・神功皇后・菅原道真公・天穂日命・武夷鳥命・倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | 三島社、稲荷社、弁財天 |
祭日 | 天王様7月8~15日 |
住所 | 加須市下高柳31-1 |
備考 | - |
下高柳八坂社の由緒
下高柳八坂社の創建年代等は不詳ながら、正保年間(1645-1648)に上下高柳村に分村した下高柳村の鎮守社として祀られ、元文2年(1737)には宗源宣旨により正一位の神階を受けていたといいます。明治維新後の社格制定に際して明治5年村社に列格、明治22年本村の三島社を合祀、明治41年住吉の住吉社・天神社・鷲宮社、沼頭の稲荷社、上小宮の稲荷社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による下高柳八坂社の由緒
(下高柳村)
牛頭天王社
村の鎮守なり、吉祥寺持、下同、
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三島社
稲荷社
小宮明神社
住吉社
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鷲宮社
常寶寺持、下同、
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天神社(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による下高柳八坂社の由緒
八坂社<加須市下高柳一〇八一(下高柳字下小宮)>
下高柳は騎西町に取水口を持つ騎西用水及び加須行田往還に沿う帯状の集落である。当社はその中ほどに位置し、騎西用水を流れ寄るという疫病に対して、立ちはだかって村を護るかのように鎮座している。
江戸期には牛頭天王社と呼ばれ、下高柳の鎮守として崇敬され、同村内の真言宗吉祥寺が別当職を務め、元文二年には宗源宣旨により正一位の神階を受けている。
明治の初め、旧来の社号を八坂神社と改め、明治五年に村社となり、同二二年本村の三島社を合祀、同四一年住吉の住吉社・天神社・鷲宮社、沼頭の稲荷社、上小宮の稲荷社を合祀する。祭神は、素戔嗚命・表筒男命・中筒男命・底筒男命・神功皇后・菅原道真公・天穂日命・武夷鳥命・倉稲魂命の九柱である。
本殿は一間社流造りであり、その内陣には金幣を中心に、嘉永二年の作と伝える束帯姿の住吉神像と手に斧を持つ牛頭天王像を左右に配すという。
なお、境内に合祀された三島神社は、現在は天王様の神輿庫としても利用されている。(「埼玉の神社」より)
「加須市の神社・寺院」による下高柳八坂社の由緒
当社の創建年月日は明らかでない。『風土記』によれば下高柳村の鎮守で、吉祥寺持ちとされている。
当社は、明治元年(一八六八)六月まで牛頭天王社と称されていたが、神仏分離令に伴う社号の改称によって明治五年(一八七二)八坂社と改称、さらに、社格の制度化に伴って村社に列している。同二十二年一月二十九日には、字本村地内の無格社三島社を合記すると共に、
明治四十一年一月九日には字住吉地内の無格社住吉社・天神社・字鷲地内の鷲宮社、及び字沼頭地内の稲荷社・字上小宮地内の稲荷社をそれぞれ合祀している。(「加須市の神社・寺院」より)
下高柳八坂社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)
- 「加須市の神社・寺院」