寶幢寺。宝幢庵と称して創建、忍領三十三所
寶幢寺の概要
真言宗智山派寺院の寶幢寺は、稲荷山愛染院と号します。寶幢寺の創建年代等は不詳ながら、宝幢和尚が庵室を建立、宝幢庵と称して創建、長寿和尚(宝永7年1710寂)が宝幢寺と改め、宥盛和尚(安永9年1780年寂)の代に寺格を得たといいます。忍領三十三所27番です。
山号 | 稲荷山 |
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院号 | 愛染院 |
寺号 | 寶幢寺 |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 加須市上高柳349 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
寶幢寺の縁起
寶幢寺の創建年代等は不詳ながら、宝幢和尚が庵室を建立、宝幢庵と称して創建、長寿和尚(宝永7年1710寂)が宝幢寺と改め、宥盛和尚(安永9年1780年寂)の代に寺格を得たといいます。
新編武蔵風土記稿による寶幢寺の縁起
(上高柳村)
寶幢寺
新義眞言宗、正能村龍花院末、八幡山と號す、本尊不動を安ず、開山權大僧都善道は、明暦三年二月十二日寂せり、(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による寶幢寺の縁起
当寺は稲荷山 愛染院と号し、本尊に不動明王を奉安する。
「寺院明細帳」によれば、宝幢和尚が興教大師作の不動尊を持仏にして堂一宇を建て、宝幢庵と称すという。その後、長寿和尚が宝幢寺と改め、宥盛和尚の代に寺格を得るという。
墓碑によれば、長寿は宝永七年(一七一〇)、宥盛は安永九年(一七八〇)に没している。このことから、当寺の創建は江戸初期頃と思われる。また宝暦六年(一七五六)には正能・龍花院の末寺に加えてもらうよう書状が出されていることから、この頃、寺としての格が備わったものであろう。(加須市教育委員会掲示より)
寶幢寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿