旧法輪山地蔵院。高柳尋常小学校の分教場・駐在所
旧地蔵院の概要
臨済宗妙心寺派寺院の地蔵院は、法輪山と号していました。地蔵院は、騎西城の奥方の念持仏が落城により当所に遁れたことを知らされた亀姫(徳川家康の息女)が、保寧寺の南雄和尚に請じて建立したといいます。明治維新後は高柳尋常小学校の分教場・駐在所などに供されていましたが、明治44年に保寧寺に合併され、現在は保寧寺地蔵堂となっています。
旧山号 | 法輪山 |
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旧院号 | 地蔵院 |
旧寺号 | - |
旧本尊 | 地蔵菩薩像 |
住所 | 加須市上高柳 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
旧地蔵院の縁起
地蔵院は、騎西城の奥方の念持仏が落城により当所に遁れたことを知らされた亀姫(徳川家康の息女)が、保寧寺の南雄和尚に請じて建立したといいます。明治維新後は高柳尋常小学校の分教場・駐在所などに供されていましたが、明治44年に保寧寺に合併され、現在は保寧寺地蔵堂となっています。
新編武蔵風土記稿による旧地蔵院の縁起
(上高柳村)
地蔵院
禅宗臨済派、日出安村保寧寺末、法輪山と號す、開山林岳承應二年六月寂せり、本尊地蔵(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による旧地蔵院の縁起
地蔵院
当院はかつて法輪山と号した。明治四十四年に日出安・保寧寺に合併されたことから、現在は同寺持の地蔵堂となっており、本尊の地蔵菩薩は今も堂内に奉安されている。
当院の由来は、騎西城の奥方の念持仏が落城により当所に遁れ、いつしかそれが亀姫(徳川家康の息女)の聞くところに及び、保寧寺の南雄和尚を請じて一寺を建立したともいう。
かつて当院の境内にはサイカチの大木があり、この花を採って製薬をしていた。薬は”御香湯”と呼ばれ、寺を維持できるほどの利財をもたらしたという。
なお、明治以降、当所には高柳尋常小学校の分教場・駐在所などの施設が置かれていた。(加須市教育委員会掲示より)
旧地蔵院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿