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石戸八雲神社。北本市石戸の神社

石戸八雲神社の概要

石戸八雲神社は、北本市石戸にある神社です。石戸八雲神社は、地内の修福寺の檀那たちが京都の感神院(東山区祇園町鎮座の八坂神社)を勧請して元文2年(1737)に天王社と称して創建したといいます。明治維新後に八雲神社と改称、大正6年石戸氷川神社に合祀されたものの、大正11年合祀解消したといいます。

石戸八雲神社
石戸八雲神社の概要
社号 八雲神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 北本市石戸8-8
備考 -



石戸八雲神社の由緒

石戸八雲神社は、地内の修福寺の檀那たちが京都の感神院(東山区祇園町鎮座の八坂神社)を勧請して元文2年(1737)に天王社と称して創建したといいます。明治維新後に八雲神社と改称、大正6年石戸氷川神社に合祀されたものの、大正11年合祀解消したといいます。

新編武蔵風土記稿による石戸八雲神社の由緒

(下石戸上村)
天王社
下石戸下村修福寺の持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による石戸八雲神社の由緒

八雲神社<北本市石戸八-八(下石戸下字向原)>
当社は、本殿に奉安される石祠に「奉造立牛頭天王御宮」と刻まれるように、元は牛頭天王と号していた。このため今も「下石戸の天王様」の名称で呼ばれることが多い。
創建は元文二年(一七三七)三月のことで、この辺り一帯に悪病が流行したので、地内の修福寺の檀那たちによって京都の感神院(東山区祇園町鎮座の八坂神社)からその鎮めとして勧請されたと伝えている。この修福寺は、当社の東方二〇〇メートルほどの所にあった天台宗の寺院で、創建の経緯から推して、当社の祭祀にかかわっていたと考えられるが、既に化政期(一八〇四-三〇)の『風土記稿』には「無住なれば寺伝を聞かず」と記されており、その故をもって明治四年に廃寺となった。跡地には、同寺の境内にあった地蔵堂が残されている。
神仏分離に伴い当社は八雲社と改称し、社格制定に際しては無格社とされた。明治二十二年に当地は石戸村の大字となり、その後の合祀政策に伴い、大正六年に至り、当社は同村大字下石戸上の村社氷川社へ合祀された。しかし、当社が疫病除けの大切な社であるとの理由から、時の権力者吉田時三郎が合祀から除くように働きかけ、直ちに合祀は取り消されたという。太平洋戦争後、石戸小学校から奉安殿を移築して当社の本殿とした。なお、祀職は明治初年から永く旧本山派修験楊門院の小古瀬家が務めていたが、現在は吉田家が継いでいる。(「埼玉の神社」より)


いいお墓

石戸八雲神社の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)