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北本氷川神社。北本市高尾の神社

北本氷川神社の概要

北本氷川神社は、北本市高尾にある神社です。北本氷川神社は、文明5年(1473)大宮氷川神社の男体を勧請して創建、高尾・荒井・北袋・石戸宿・石戸上村の鎮守として祀られ、明治6年に村社となったといいます。北本七福神の大黒天・恵比寿です。

北本氷川神社
北本氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 市杵嶋姫命、大雷命、誉田別命、大物主命、菅原道真公
境外社 高尾厳島神社
祭日 春祭4月18日、例祭7月18日、秋祭10月18日
住所 北本市高尾7-31
備考 -



北本氷川神社の由緒

北本氷川神社は、文明5年(1473)大宮氷川神社の男体を勧請して創建、高尾・荒井・北袋・石戸宿・下石戸上村の鎮守として祀られ、明治6年に村社となったといいます。

新編武蔵風土記稿による北本氷川神社の由緒

(高尾村)
氷川社
文明五年大宮氷川の男體を勧請せり、神體素戔嗚尊本地佛正観音なり、當村及び荒井・北袋の三村其外石戸宿・石戸上村の内にても鎮守となせるなり。
別當泉龍寺
當山派修験、京都醍醐三寶院の配下、古は大行院と號せしが、享保十二年三寶院指揮にて、慈眼山泉龍寺とぞあらためしと云、本尊不動を安す。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による北本氷川神社の由緒

氷川神社<北本市高尾七-三一(高尾字大宮)>
高尾の地内には、氷仁二年(一二九四)をはじめとする五〇基以上の板碑が現存し、古くから開かれた所であった。
当社は『明細帳』に「貞観十一年(八六九)十一月十八日創立」と載せているが、明らかでない。『風土記稿』高尾村の項には「氷川社 文明五年(一四七三)大宮氷川の男体を勧請せり、神体素盞嗚尊本地仏正観音なり、当村及び荒井・北袋の三村其他石戸宿・石戸上村の内にても鎮守となせるなり」とあり、更に「別当泉竜寺 当山派修験、京都醍醐三宝院の配下、古は大行院と号せしが、享保十二年三宝院指揮にて、慈眼山泉竜寺とぞあらためしと云、本尊不動を安置す」とある。中世において一宮の氷川神社にかかわる修験が武士や郷村を巡回しながら氷川信仰を流布していったとされていることから、当社もこのような修験の教宣活動を背景に当山派修験大行院の手によって氷川の男体が勧請されたものであろう。
江戸期に入り、当地を含む石戸領を知行した旗本牧野氏が当社を祈願所として崇敬を寄せたことが『明細帳』に記載される。ちなみに、牧野康成が天正十八年(一五九〇)以降に川田谷村(桶川市)に陣屋を構え、孫親成のころまで存続したとみられる。
神仏分離を経て、当社は明治六年に村社となった。また、泉竜寺は廃寺となり、代わって吉田家が祀職となり、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)

境内掲示による北本氷川神社の由緒

氷川神社の祭神は素戔嗚尊、市杵嶋姫命、大雷命、誉田別命、大物主命、菅原道真公である。
貞観十一年(八六九)十月十八日に創建され、高尾村、荒井村、北袋村、石戸宿村、下石戸上村他の鎮守としたと言う。また、境内には厳島神社も祭られている。
昔、御手洗川のほとりに御神木といわれた幹周り二丈五尺余(約八メートル)もある杉の大木があり、この杉より龍が昇天したと伝えられる。元禄十四年(一七〇一)十月二日の大風でこの御神木は根元より吹き倒されたため、これを惜しんだ氏子たちが、その跡を掘り上げて島を造り、社を建てたのが厳島神社の起こりと言われている。
厳島神社の御神体の尊像は、宝暦六年(一七五六)江戸神田新銀町中島屋久四郎という者が弁財天のおつげにより、この地を訪れ奉安したものといい、現在の石橋、石段もその時奉納したものといわれている。
明治以降は養蚕の守護神として参拝されるようになった。
なお、氷川神社の祭事は、春祭四月十八日、例祭七月十八日、秋祭十月十八日に行われている。(埼玉県・北本市掲示より)


いいお墓

北本氷川神社の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)