朝日地蔵堂。無量壽院の飛地境内地
朝日地蔵堂の概要
仏教寺院の朝日地蔵堂は、北本市朝日にある地蔵堂です。朝日地蔵堂の創建年代等は不詳ながら、高野聖が建てたと伝承されます。無量壽院が格式の高い寺院だったため、埋葬する場所として地蔵堂が利用されてきたといいます。無量壽院の飛地境内地です。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | - |
住所 | 北本市朝日4丁目 |
宗派 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
朝日地蔵堂の縁起
朝日地蔵堂の創建年代等は不詳ながら、高野聖が建てたと伝承されます。無量壽院が格式の高い寺院だったため、埋葬する場所として地蔵堂が利用されてきたといいます。無量壽院の飛地境内地です。
新編武蔵風土記稿による朝日地蔵堂の縁起
(別所村)
地蔵堂
無量壽院持、(新編武蔵風土記稿より)
「北本市史民俗編」による朝日地蔵堂の縁起
地蔵堂には「無量寿院持」とあるだけであるが、こちらは今もある。
大堂は左甚五郎が一夜にして建てたものという言い伝えがあり、地蔵堂は高野聖が来て建てたものといわれている。
昔は大堂の周りに六つの坊があり、そこに住む僧たちが昼は大堂に来てお勤めをし、夜は自分の坊に戻って行ったといわれ、無量寿院がその別当職となっていたという。
大堂はダイドウと呼ばれ、無量壽院の飛地境内地で、地蔵堂もまた同じである。
大堂の方には石塔を建て、地蔵堂の方に埋葬することになっているが、近年は地蔵堂の方に石塔を建てる人もいるという。大堂の墓地は一般にダイドウと呼ばれ、地蔵堂の墓地は一般にヂゾウと呼ばれている。
大堂の方に石塔を建てるようになったことについては、無量壽院は格の高い寺であるため、死体を埋めるものではないといわれ、寺に近い大堂には石塔だけを建てるようになったのだといわれている。
大堂・地蔵堂の檀家総代は、常光別所の上組・中組・下組から二名ずっ、計六名が出ている。総代はまた当番長ともいう。総代になる家は代々決まっていて、その家の長男が世襲で任についてる。ただし跡を継ぐ者がいなくなった時は、分家などに代ってもらうことはある。(「北本市史民俗編」より)
朝日地蔵堂の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「北本市史民俗編」