醫王山真福寺。輪王寺宮一品法親王から贈られた元三大師像
真福寺の概要
天台宗寺院の真福寺は、醫王山光明院と号します。真福寺の創建年代等は不詳ながら、当寺の元三大師像は江戸期に崇敬を集め、正月三日には数多くの参詣者を集めたといいます。
山号 | 醫王山 |
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院号 | 光明院 |
寺号 | 真福寺 |
住所 | 北本市本町7-126-1 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
真福寺の縁起
真福寺の創建年代等は不詳ながら、当寺の元三大師像は江戸期に崇敬を集め、正月三日には数多くの参詣者を集めたといいます。
新編武蔵風土記稿による真福寺の縁起
(下石戸上村)
眞福寺
天台宗、川田谷村泉福寺末、醫王山光明院と號す、本尊不動立像にして長一尺五寸、慈覺大師の作なり、外に元三大師の畫像を掲ぐ、靈驗著く正月三日ことに群詣すと云。
薬師堂。薬師は慈覺大師の作にて、坐像なり。
釋迦堂(新編武蔵風土記稿より)
真福寺所蔵の文化財
- 真福寺仁王像
- 慈恵大師画像
真福寺仁王像
阿吽一対の仁王像である。
口をあける阿形は、斜めに顔を向け右腕を腰下に振り、金剛杵を握る左腕を肩上に振り上げる。
口を結ぶ吽形は、右腕を口臂して五本指を伸ばし、左手は掌を強く握り腰をひねる。ともに激しい憤怒相を現し、筋肉隆々とした上半身には天衣がまとわれる。
像は寄木造り、彫眼からなり、腰に巻かれる裳には彩色が施され、宝輪、七宝、蓬莱唐草などが配されている。
制作年代は、像が安置される仁王門の礎石に安永三年(一七七四)の陰刻銘があることから、仁王像についても同時期の作と推定される。彫刻として総体に崩れのない仕上がりを示し、市内では唯一ここだけに残されている。(北本市教育委員会掲示より)
慈恵大師画像
天台宗の高僧、慈恵大師良源(近江国出身。元三大師とも称される。九一二年~九八五年)の画像である。
画像は左右に二人の童子を配し、上法に幔幕が描かれる。また画中で慈恵大師は左手に独鈷杵、両手で念珠を持ち三曲の屏風を背に礼盤上に座している。このことからも神格化された礼拝像として制作されたものと思われる。
本画像は、江戸時代の寛保二年(一七四二)に輪王寺宮一品法親王が信仰していたものを、当寺に寄贈したものと伝えられる。また新編武蔵風土記稿に「元三大師ノ画像ヲ掲グ」とあり、この慈恵大師画像が該当すると思われる。
絹本着色。たて一三二cm、よこ七六cm。明治三十六年と昭和四十九年に一部を修復している。(北本市教育委員会掲示より)
真福寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」