石戸地蔵堂。旧池端山十輪院修福寺
石戸地蔵堂の概要
仏教寺院の石戸地蔵堂は、かつて池端山十輪院修福寺と号す天台宗寺院でした。石戸地蔵堂の創建年代等は不詳ながら、本尊地蔵尊は伊東刑部左衛門尉祐頼が伊豆国から背負って来たもので、室町時代後半の彫刻だといいます。地蔵堂を管理していた修福寺は無住だったこともあり明治4年廃寺となり、境内にあった地蔵堂が残されたといいます。
旧山号 | 池端山 |
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旧院号 | 十輪院 |
旧寺号 | 修福寺 |
住所 | 北本市石戸6-284 |
宗派 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
石戸地蔵堂の縁起
石戸地蔵堂の創建年代等は不詳ながら、本尊地蔵尊は伊東刑部左衛門尉祐頼が伊豆国から背負って来たもので、室町時代後半の彫刻だといいます。地蔵堂を管理していた修福寺は無住だったこともあり明治4年廃寺となり、境内にあった地蔵堂が残されたといいます。
新編武蔵風土記稿による石戸地蔵堂の縁起
(下石戸下村)
刑部谷
昔伊東刑部といへるもの居れりと云、按に【東鑑】に伊東刑部左衛門尉祐賴なるもの見ゆ、祐賴は伊豆國伊東祐親などの支族なり、又村内修福寺境内の地蔵は、刑部伊豆の國より背負ひ来りしものなりと云、さればここに刑部とのみ傳ふれど、則刑部左衛門祐賴がことにて、後年當所に来り住せしなるべし。
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修福寺
天台宗、川田谷村泉福寺の末、池端山十輪院と號す、無住なれば寺傳を聞かず。 (新編武蔵風土記稿より)
石戸地蔵堂所蔵の文化財
- 木造地蔵菩薩半跏像(市指定文化財)
木造地蔵菩薩半跏像
木造地蔵菩薩半跏像は、伊東刑部左衛門尉祐頼が伊豆国から背負って来たと伝えられる地蔵堂の本尊で、総高五十六センチメートル、像高三十八・二センチメートル、寄木造、玉眼で漆下地に彩色しており、右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、左足を台座下に垂下して半跏する延命形の地蔵菩薩像である。
鎌倉時代の彫刻に通じる独特な調子の強さがあるものの、総体に刀の入りが浅く形式的な表現であり、室町時代後半の造立と考えられる。付属する錫杖、光背もこの時期のものと思われ、一体のものとして指定している。
市内では数少ない中世彫刻の一つであり、当時の地蔵信仰を物語る貴重なものである。(北本市教育委員会掲示より)
石戸地蔵堂の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」