多聞寺。北本七福神の毘沙門天
多聞寺の概要
真言宗智山派寺院の多聞寺は、寶塔山稲荷院と号します。多聞寺は、文永年間(1264-75)に多聞律師が開基したといい、光宗法師が万治元年(1658)に伽藍を再建して中興したといいます。北本七福神の毘沙門天です。
山号 | 寶塔山 |
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院号 | 稲荷院 |
寺号 | 多聞寺 |
住所 | 北本市本宿2-37 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
多聞寺の縁起
多聞寺は、文永年間(1264-75)の頃に多聞律師が開基したといい、光宗法師が万治元年(1658)に伽藍を再建して中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による多聞寺の縁起
(本宿村)多聞寺
新義真言宗、瀧馬室村常勝寺の末、寶塔山と號す、本尊毘沙門萬治四年八月起立と傳るのみ、其他の事は詳ならず。
稲荷社。この外護摩堂あり。(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による多聞寺の縁起
新本堂建立記念碑
當山は眞言宗智山派 寶塔山稲荷院多聞寺と稱す 人皇第九十九代 御亀山天皇の御宇 多聞律師の開基と伝う 今を去る六百有余年の古刹なり そのあいだ世に隆汚あり 當山も亦幾多の変遷ありしを免れず 万治元年八月光宗法師伽藍を再建し 別に稲荷を奉祀し護法施益の神祇とす 是れ中興の開祖なり 歴代の僧徒 相次いで承継し今日に至る 近年諸事情ありて 住みなれた我家での仏事を執り行うことが不便となり この時に當り現住職洋明 檀信徒各位に諮り 時代に即応した斎場付本堂等の建築を発願す 時折しも平成四年が新義真言宗中興の祖 興教大師(覚鑁)の八百五十年のご遠忌でもある 檀信徒諸氏これに協力 平成八年十二月九日地鎮祭を修す(境内石碑より)
多聞寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」