安養院。北本市中丸にある真言宗智山派寺院
安養院の概要
真言宗智山派寺院の安養院は、瑠璃山と号します。安養院は、安養院殿蘭室妙見大姉(加藤安藝守の娘で小池長門守久宗の妻)が開基となり、惠海上人が天正年間(1573-1593)に開創、遍照寺をはじめ近隣の寺院を合寺してきたといいます。
山号 | 瑠璃山 |
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院号 | 安養院 |
寺号 | - |
住所 | 北本市中丸8-20 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
安養院の縁起
安養院は、安養院殿蘭室妙見大姉(加藤安藝守の娘で小池長門守久宗の妻)が開基となり、惠海上人が天正年間(1573-1593)に開創、遍照寺をはじめ近隣の寺院を合寺してきたといいます。
境内掲示による安養院の縁起
本堂改築記念
碑文
当山は、天正年間、惠海上人の開創にして約四百年の歴史を有し、その間、近隣の寺院を合寺す。特に明治八年遍照寺の火災焼失により合寺す。
本尊十一面観音は檀徒に救いの手をのべられ先祖をご守護たまわる。
旧本堂は安政三年(百参拾年前)の建立にして老朽化し、狭隘となり、改築を発願す。時あたかも弘法大師壱千百五拾年ご遠忌にあたる。(境内石碑より)
新編武蔵風土記稿による安養院の縁起
(下中丸村)
安養院
新義眞言宗、下中丸村壽命院末、瑠璃山と號す、本尊歓喜天は秘して見ることを得ず、前に觀音を置り、開基は村民幸左衛門が祖先とのみ傳へて、其名は失ひたれど、境内に石碑二基あり、一は表面に善徳院殿賢翁浄國居士永禄七甲子七月十四日、又安養院殿蘭室妙見大姉天正十年七月廿四日とえりて、左に小池長門守久宗右に加藤安藝守娘と彫たり、一は表に明雲院殿月菴宗安居士慶長四年己亥八月四日、脇に加藤修理亮宗安とみゆ、二基ともに近き比村民幸左衛門が分家、源右衛門再造せりと云、彼長門守修理亮二人ともに太田氏の臣なりと云按に當院の號は長門守久宗が室の法名なれば、彼室當院を開基せしにや、幸左衛門は小池氏なりしが、故有て加藤氏に改たるよし傳れば、修理亮宗安は小池長門守久宗が子にて、幸左衛門が祖先なりし成べし、(新編武蔵風土記稿より)
安養院の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」