松久神社。諏訪社として創建、祈雨竜神を併せ祭祀
松久神社の概要
松久神社は、美里町木部にある神社です。松久神社の創建年代は不詳ですが、真東寺の寺鎮守のために諏訪社として創建したといいます。弘化2年(1845)に地頭の松前氏から祈雨竜神を拝領、諏訪社は、諏訪竜神社と改称、明治40年東西の二柱神社及び宇道場の無格社八坂神社及び字前山の八幡神社を合祀し村社に列格、松久神社と改称したといいます。
社号 | 松久神社 |
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祭神 | 建御名方命、多津乃神(旧諏訪竜神神社)、伊邪那岐命、伊邪那美命(旧二柱神社)、建速須佐之男命(旧八坂神社)、応神天皇(旧八幡神社) |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社、八坂社、古峰者 |
祭日 | 例祭日10月15日 |
住所 | 児玉郡美里町木部549 |
備考 | 旧村社 |
松久神社の由緒
松久神社の創建年代は不詳ですが、真東寺の寺鎮守のために諏訪社として創建したといいます。弘化2年(1845)に地頭の松前氏から祈雨竜神を拝領、諏訪社は、諏訪竜神社と改称、明治40年東西の二柱神社及び宇道場の無格社八坂神社及び字前山の八幡神社を合祀し村社に列格、松久神社と改称したといいます。
埼玉県神社庁「埼玉の神社」による松久神社の由緒
木部は、武蔵七党の猪俣党の流れを汲む木部氏の在所であった所といわれ、地内には、平安時代から鎌倉時代にかけて築造されたものと思われる木部氏館跡もある。中世においては、那賀郡に所属し、元亀元年(1570)の発給と推定される鉢形城主北条氏邦印判状の中には、木部村内に高柳源左衛門の屋敷地を安堵した旨が見える。
元来、木部の鎮守は、「風土記稿」木部村の項に「聖天社二宇 共に村の鎮守にて、一ほ真東寺持、一ほ村持」と記されているように、二つの聖天社であり、この二社は共に明治5年に村社となり、真東寺持ちの聖天社は西二柱神(字西に鎮座)、村持ちの堅天社は東二柱神社(字森下に鎮座)と称するようになった。一方、当社の社地には、古くから真言宗の真東寺の寺鎮守として諏訪社と八幡社が祀られており、諏訪社は、弘化2年(1845)に地頭の松前氏から祈雨竜神を拝領して神社を再建したとの伝えがあることから、神仏分離の後は、諏訪竜神神社と称し、無格社になっていた。
明治40年4月17日、政府の合祀政策に従って、この諏訪竜神神社に、東西の二柱神社及び宇道場の無格社八坂神社及び字前山の八幡神社が合祀された。この合祀と同時に、当社は社号を諏訪竜神神社から松久神社に改め、社格も村社となった。ちなみに「松久」の名は、その当時木部が属していた松久村の村名を採ったものである。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
松久神社の周辺図