真東寺。児玉郡美里町木部にある真言宗智山派寺院

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真東寺。四国八十八ヶ所の写、児玉三十三霊場

真東寺の概要

真言宗智山派寺院の真東寺は、梅樹山地蔵院と号します。創建年代は不詳ですが、文明3年(1471)に真言宗醍醐派から真言宗智山派に宗派替したと伝えられます。天明3年(1783)浅間山の大噴火の後、火災に遭い天明6年(1786)本堂を再建、宥勝寺より延命地蔵菩薩像を譲り受け、院号を地蔵院と改めました。広大な境内には四国八十八ヶ所の写しが造作されており、多くの巡拝者を集め、また児玉三十三霊場26番霊場となっています。

真東寺
真東寺の概要
山号 梅樹山
院号 地蔵院
寺号 真東寺
住所 児玉郡美里町木部546-1
宗派 真言宗智山派
本尊 延命地蔵菩薩像
葬儀・墓地 -
備考 児玉三十三霊場26番霊場



真東寺の縁起

真東寺の創建年代は不詳ですが、文明3年(1471)に真言宗醍醐派から真言宗智山派に宗派替したと伝えられます。天明3年(1783)浅間山の大噴火の後、火災に遭い天明6年(1786)本堂を再建、宥勝寺より延命地蔵菩薩像を譲り受け、院号を地蔵院と改めました。広大な境内には四国八十八ヶ所の写しが造作されており、多くの巡拝者を集めています。

埼玉県掲示による真東寺の縁起

真東寺
真東寺は、その昔、真言宗醍醐派の寺であったが、応仁の乱が原因となって、文明3年(1471)に真言宗智山派に変更したといわれている。当時は梅樹山弥陀院真東寺といって、本尊は阿弥陀如来であったが、天明3年(1783)浅間山の大噴火と大飢饉のため世情騒然となっていた時、火災により本尊及び諸仏像を焼失したため、天明6年本堂再建の際、児玉三十三霊場第19番の西光山宥勝寺から本尊延命地蔵菩薩を受けて、これより梅樹山地蔵院真東寺と称するようになった。その後、文化3年(1806)再び火災に遭い堂宇を焼失したので、文政13年(1830)再建して現在に至っている。
なお、別棟の観音堂は、住職の手づくりによるもので、昭和55年秋に完成した。堂内の観音様の御胎内には般若心経1,000巻の写経が奉納されており、また、室内の壁には、み仏と参拝者との御縁が結ばれるよう八千枚の五円玉を貼りめぐらしてある。(埼玉県掲示より)

新編武蔵風土記稿による真東寺の縁起

真東寺
新義真言宗、栗崎村宥勝寺末、梅樹山地蔵院と号す。本尊地蔵。
八幡社。諏訪社。天神社。弥陀堂。(注:八幡社と諏訪社は、現松久神社)(新編武蔵風土記稿より)

境内の曼陀羅塔・お砂踏みについて

曼陀羅塔・お砂踏み
この塔は曼陀羅塔と称し、密教諸尊の悟りの世界を表現したものです。
特に四方(東西南北)の門は四門と呼ばれ、東に発心門、南に修行門、西に菩提門、北に涅槃門を配し、密教の世界で修行の段階を説いたものです。
屋根の上野修行像は、お大師さまが諸国巡錫の折、当山にも立ち寄られ、御本尊さまを拝んで下さっているお姿を表わしたものです。
また、塔内の天井は仏天蓋で荘厳され、その周囲を五円玉で張り巡らせ、巡拝者と御本尊さまとのご縁を結ぶ縁起としています。
足元の石板(仏足石)の下には、四国八十八ヶ所霊場から直接持ち帰ったお砂が各霊場ごとに納められており、この仏足石を踏むこと(お砂踏み)によって、四国霊場を巡拝したのと同じ霊験・功徳が得られます。(境内掲示より)


真東寺の周辺図