中新里御霊神社。児玉郡神川町中新里の神社

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中新里御霊神社。児玉郡神川町中新里の神社

中新里御霊神社の概要

中新里御霊神社は、児玉郡神川町にある神社です。中新里御霊神社の創建年代等は不詳ながら、中新里の旧家に応永年間(1391-1428)の板碑が残されていることなどから室町時代に祀られたのではないかといいます。明治維新後村社に列格、明治40年に諏訪山古墳上に鎮座していた諏訪社を合祀しています。

中新里御霊神社
中新里御霊神社の概要
社号 御霊神社
祭神 崇道天皇、吉備大臣、建御名方命
相殿 -
境内社 諏訪社、八坂社、天照大神、倉稲魂命、埴安媛神、少彦名命、大己貴命
祭日 -
住所 児玉郡神川町中新里48
備考 -



中新里御霊神社の由緒

中新里御霊神社の創建年代等は不詳ながら、中新里の旧家に応永年間(1391-1428)の板碑が残されていることなどから室町時代に祀られたのではないかといいます。明治維新後村社に列格、明治40年に諏訪山古墳上に鎮座していた諏訪社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による中新里御霊神社の由緒

(中新里村)
御靈明神社
村の鎮守なり
末社。秋葉、疱瘡神、稲荷(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による中新里御霊神社の由緒

御霊神社<神川町中新里四八(中新里字羽場)>
中新里の鎮守である当社は、古老の伝承によれば、在古に京都の御霊神社を勧請したもので、大字新里にあった御霊神社とは兄弟であるという。そのため、兄である当社は「上御霊」、弟である新里の御霊神社は「下御霊」と呼ばれていた。ちなみに、新里の御霊神社は明治四十年三月に児玉町保木野の稲荷神社に合祀され、その跡地は現在では畑になっている。
一方、『児玉郡誌』は、当社の創建について「詳ならざれども」としながらも、中新里の旧家に応永年間(一三九四-一四二八)の板碑があることと、御霊神社の境内に数百年を経た老樹があることを根拠として、「当地は足利時代に開拓せられ、同時にこの社も勧請せられしものなるべし」と推測している。ここでいう老樹は、かつて境内にあった欅の神木のことで、中に博打ができる虚があるほどの大きなものであったが、大正のころに伐採してしまったという。
更に『風土記稿』中新里村の項には「御霊明神社 村の鎮守なり 末社 秋葉 稲荷(中略)以上村民の持」と載るように、村の鎮守として信仰が厚かったことがうかがえる。旧社格は村社であり、明治四十年に当社の東北にある「諏訪山」と称する古墳の上から無格社諏訪神社を本社に合祀した。なお、当社の幣殿天井には堂々とした竜が描かれており、これは狩野寿信門人加信の筆によるものである。(「埼玉の神社」より)


中新里御霊神社の周辺図